フルトヴェングラーが1951年のバイロイト音楽祭でバイロイト祝祭管弦楽団を指揮してレコーディング(ライブ録音)したベートーヴェンの『第九』は、モノラルでありながらもフルトヴェングラーを代表する名盤とされています。ばかりかベートーヴェンの『第九』といえばこれがもはやダントツの評価を受けており、他の指揮者の録音を大きく引き離しています。たしかに技術的欠点こそあるものの、そういう次元を超えて存在している名演奏だということになっています。

ところが21世紀になって研究が進み、この録音の大半はどうやらゲネプロの記録を利用しており、一部にのみ本番の演奏が使われているということがわかってしまいました。なんとも・・・。

背景を記しておくと、バイロイト音楽祭は、戦後の混乱を経て1951年に再開しました。その記念として、フルトヴェングラーが7月29日にバイロイト祝祭劇場でベートーヴェンの『第9番』を指揮しました。この演奏は、戦争とナチズムの傷跡からの復興を象徴するものとなり、歴史的に大きな意義を持ちました。日本ではさかんに演奏される『第九』ですが、欧州では特別な機会でのみ演奏されるそうです。そりゃこの時に『第九』を演奏しなかったらいつ演奏するっていうんですか。

この演奏はEMIが録音・リリースして世界的に高い評価を得ることになったのは周知のとおり。ずっと「フルトヴェングラーの本番はすごい」と思われていましたが、リリースされた音源の大半は前日のゲネプロ(7月28日)の録音が使用されていることが判明しています。

当時の演奏をラジオ放送するためにバイエルン放送が記録を残しており、こちらの音源は21世紀になって発売されました。これと比べると明らかに違うということがわかるようです。

いったいなぜ真の意味でライブ録音といえないものをライブ録音として発売したのか。これは謎ですが気持ちはわかります。ライブ録音なんてギャンブル。どうなるかわかりませんから、念の為にリハーサルも記録しておこうと思ったのは不自然なことではありません。それに、バイロイト劇場の独特な音響は録音がやりやすい環境だとはとても思えません。だったらなおさらリハーサル音源も収録しようと思うでしょう。

それに、当時のレコードなんて高級品ですから、大枚はたいて買ってきた商品がミスだらけだったらお客さんも起こりますよね。なるべくキズの少ない商品を作りたいと願うのはレコード会社なら当然のこと。慈善事業じゃなくてビジネスでやっているわけですから・・・。だから、リハーサルの方が出来が良いと判断されれば、そちらを優先的に使用するのは理にかなっています。ただこの『第九』がここまで評判が良くなり、何度も何度も音源をリマスタリングして再発売される、いつの間にかベートーヴェン演奏や『第九』の永遠のスタンダードになる、なんていう未来までは制作当時は予想できなかったようです。

それにしても、そういう事情で成立した商品が、その事情が明らかにならぬまま名盤として評価が定着してしまうなんて、なんだか皮肉なものです。