ヴァイオリンを弾いていると、「こうすればいいのに」というアイデアは山のように思いつきます。ただでさえ音程を確保するだけでも難しく、さらにその上音色がどうしたとかフレージングがどうしたとか、解決できないはずの問題は弓を買い替えたら解決できてしまった、つまりカネで解決できたとか、弦を交換したら良くなったとか、問題とその解決策というのはいくらでもあります。大抵の問題は解決されないままなのですが・・・。

ゆえに、モーツァルトのヴァイオリン・ソナタを一つ演奏するだけでも無数のやり方があり、すぐに複数の方法をサッと提示できる人をプロと呼ぶのでしょう。アマチュアは楽譜どおりに演奏するだけで何年も費やしてしまい、あるとき鏡の中の自分をみて「老けたぜ・・・」と実感したり、YouTubeで少年少女が自分と同じ曲を自分よりもはるかにはるかに綺麗に演奏してモチベーションをへし折られたりするわけです。

一方で作品というのは生き物ではありませんから年を取りません。200年前に作曲されたベートーヴェンの『第九』は原則として200年前と同じ姿です。オーケストラの技術水準とかその次代の聴衆の好みとかに左右されますが、原則として同じように響きます。

つまり作品は年を取らないのに、人間は確実に年を取るわけです。これは音楽に限らず、あらゆる芸術や文化に共通する宿命でしょう。私たちは成長し、熟練し、やがて衰えていきます、残念ながら。しかし、作品そのものは変わらず存在し続けます。それゆえ、次世代に引き継がれ、また新たな解釈のもとで蘇るのですね。

たとえば、モーツァルトのヴァイオリン・ソナタのどれか(大抵の人は有名な短調のソナタ?)を初めて練習したときと、10年後に再び向き合ったときでは、演奏者の技術や経験が異なるだけでなく、作品に対する理解も深まっていることでしょう。あるいは昔のことをすっかり忘れてゼロからやり直しになっているはずです。大抵は後者ですね。同じ楽譜を前にしても、演奏者の年齢や人生経験がその解釈に影響を与え、結果として異なる音楽が生まれます。作品はときが止まっているようで、実は演奏者によって常に「新しく」蘇るのでしょう。

しかし。人間の命には時間制限があります。どれほど精進しても、やがて弾けなくなる日が来ます。それでも作品は残ります。そして、自分以外の誰か・・・要するに子どもたちがその作品に出会い、また新たな解釈を生み出していくわけです。自分が奏でた音楽はその瞬間に消え去りますが(むしろ黒歴史だから消去したいが)、その音楽に対する情熱や工夫は、次に続く者へと受け継がれていくわけですね。

だからこそ、音楽の伝統は途切れることなく続いていくのでしょう。ベートーヴェンの『第九』が今も演奏され続けるのは、楽譜が残っているからだけではなく、その音楽を愛し、次世代へと伝えようとする人々がいるからです(儲かるからという理由もあると思うが)。名演奏家たちは自らの技術や解釈を弟子に伝え、弟子はまたその次の世代へと伝えていきます。小澤征爾さんがそんな感じでしたね。そうして作品は不変でありながらも、常に新しい命を得て響き続けるのです。

人は年を取ります。そして死にます。しかし私やあなたが愛した作品は、次の世代へと引き継がれ、また新たな輝きを放ちます。音楽が素晴らしいのは、単に技術を磨くことだけでなく、その連鎖の中で「生きている」ことを実感できるからなのかもしれません。