生涯に複数回、ベートーヴェンとかチャイコフスキーとかの交響曲を全集としてレコーディングする指揮者がいます。よほど人気で売れることが事前にわかっているからなのか、制作会社も何度も録音を依頼します。
ヘルベルト・フォン・カラヤンもその一人。というか代表格ですね。彼は映像を含めると6度、ベートーヴェンの交響曲全集を発表しています。
カラヤンのイメージというのはベルリン・フィル時代に定着しました。輝かしいサウンド、精緻なアンサンブル、そして巨大な音。これでもかというほどのゴージャス路線は賛否両論(というか賛のほうが圧倒的だったのだが)であったものの、一般的な「クラシック音楽」のイメージを広く社会に浸透させることになりました。
記念すべき第一回となった全集は、しかしベルリン・フィルではなくフィルハーモニア管弦楽団との録音でした。主にEMIへの録音を念頭に1945年に創設されたロンドンに本拠を置くオーケストラです。まだ40代後半、指揮者としてはまだ「気鋭の」という言い方をされても不思議ではないカラヤンは1955年にこのオーケストラを指揮してベートーヴェンの『第九』を録音しています。合唱団はウィーン楽友協会合唱団であり、ウィーンのムジークフェラインザールで4日間のセッションを組んで録音されました。この録音のためだけにオーケストラ全員をロンドンからウィーンへ宿泊を伴う出張をさせるというのは非現実的ですから、察するに演奏旅行でウィーンに滞在中だったのでしょうか。いずれにせよコストのかかり方がすごいです。今となっては考えられません。
このフィルハーモニア管弦楽団との『第九』を後年のベルリン・フィルとの録音と比べてみると、当時のカラヤンの芸風やオーケストラの違いが鮮明であり、とても興味深いです。
1955年の録音は、全体的にやや速めのテンポが特徴的であり、推進力のある演奏となっています。
特に第1楽章は引き締まったテンポで進行し、緊張感のある演奏が印象的です。
また、1955年の録音では、これはロンドンのオーケストラについておしなべて言えることですが、弦楽器の響きはやや軽やかで、透明感のあるサウンドが聴かれます。弦楽器群の響きというのはウィーンとベルリンとアムステルダムとパリとロンドンで微妙に異なります。国籍がどうだからどうだとステレオタイプなことを言うつもりはありませんが、不思議なものです。管楽器もシャープで明快な音を奏でており、全体としてフレッシュで躍動感のある演奏になっているのが特徴です。アンサンブルも、21世紀の水準からすれば一瞬「?」となる箇所もあるものの、戦前のオーケストラの録音と比べると明らかにきりりと引き締まったもの。当時この録音を聴いた人は新時代が到来したことを実感したに違いありません。
一方で、ベルリン・フィルとの演奏では、より重厚で統一感のある音色が強調されるようになり、特に弦楽器の厚みや金管の力強さが際立つようになるのはご存知のとおり。特に1962年の録音では、オーケストラの一糸乱れぬ精密さが際立ち、カラヤンの統率力が抜きん出ていたことを証明しています。
大まかに言うとカラヤンの1955年のフィルハーモニア管弦楽団との録音は、エネルギッシュでスピード感のある演奏が特徴で、直感的で劇的な表現が強調されています。第4楽章の終結部ではティンパニが正確にドロドロと音を刻み、そこはカラヤンそしてプロ奏者、どんなに熱くなってもアンサンブルは冷静沈着。あまり顧みられることのない録音ですが、今なお注目に値する貴重なレコードであることは間違いないでしょう。
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