世の中にピアノが弾ける人はたくさんいます。なにしろ、小学校のクラスで「ピアノ習ってます」な女子の多いこと多いこと。大半の人は中学校くらいでやめてしまうのですが、一部の人は大人になっても続けてショパンの練習曲が弾けるくらいだったり、もっと好きな人は音楽大学に進学してピアノ演奏技術を極める道を選ぶ人もいます。

一方、ワイのようにヴァイオリンを弾いていると、「ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ弾きたいんだけどピアニストがいないよ」問題に直面します。ヴァイオリンの弱点は無伴奏曲というものがほとんどなく、99%の曲はピアニストの伴奏に助けられて初めて作品として成立します。だからピアニストがいないと無伴奏曲しか弾けません。そして無伴奏曲はむちゃくちゃ難易度が高いので実質何も弾けません。

ピアニストが見つけられないのはお前に友だちがいないせいだ? たしかに私は友だちいません。だから「友だちいない研究所」なんていうブログをやっているわけです。でもちょっとやそっと友だちがいたくらいで、そのうち何人がピアノが弾け、なおかつ室内楽の一部として機能する演奏ができるのでしょうか・・・?

あるとき私がベートーヴェンの『ヴァイオリン・ソナタ第5番 春』を演奏することになったとき、ヴァイオリンの先生は「あなたの伴奏を務めてくれる〇〇先生は、あなたが多少ミスをしても拾ってくれます。〇〇先生のレベルならピアノパートだけじゃなくてヴァイオリンパートも全部頭に入ってます」。

げっと思いました。あの先生そんなにすごかったのか。でも話を聞いていると、どうやらそれくらいしっかりしていないと大小のアクシデントに即応することができないため、伴奏ピアニストというのは務まらないらしいのです。つまり単にピアノが上手ければいいというものではなく、それよりも遥かに高度なことが求められているようなのです。

そういえば『音楽家になるには』(中野雄著・ぺりかん社)に、伴奏ピアニスト小森谷裕子さんのことが書かれていたな、とレッスンの帰路に思い出しました。

あるとき、15歳の若手少女ヴァイオリニストのデビューリサイタルの前夜に、本来の伴奏ピアニストが体調不良を理由に出演を辞退してしまいました。代わりを務めたのは小森谷裕子さん。演奏会当日朝に出演依頼を受け、その日のコンサートは本番前に一度通しただけで始めることになりました。プログラムのメインはシューマンのソナタ。小森谷さんも2、3年前に弾いたことがあるといった程度という過酷なもの。

ぶっつけ本番に近いコンサートがスタートして、プログラム前半終了間際のサン=サーンスの「序奏とロンド・カプリチオーソ」で事件が起こりました。演奏が始まって2、3分ほど経過したとき、曲の前半から中間部を飛ばして後半にワープしてしまいました。彼女もどうやら初リサイタルということで緊張していたようなのです。

客席には「音楽が止まる!」という無言の緊張が走りました。

ところがその瞬間、小森谷さんは突如として楽譜を数ページめくり、そのまま弾き続けました。
そして演奏は何事もなかったように終了。9分の曲を5分で終えてしまいました。このヴァイオリニストはアイドルらしい顔立ちだったらしく、曲を詳しく知らないお客さんが多かったのか盛大な拍手が鳴り響き、休憩時間中も間違いを指摘する会話などはなかったそうです。ヴァイオリニスト本人は控室に戻って来るまで自分のミスに気づかなかったとか。

ここまでの実力があるとなると、ソリストを超えていると言っても過言ではないでしょうし、これくらいのことが「そらきた、またか」くらいで対処できなければ伴奏者としてやっていけないのでしょう。

そりゃ伴奏ピアニストが少ないわけだわ。