ノー。この言葉を言うのは結構難しいものです。
うろ覚えですが、中学校の英語の教科書にこんなお話がありました。主人公は親戚とともに二人でレストランに行きます。親戚は、主人公の懐具合をまったく考慮せず、高めの品物ばかり注文します。
じつは、この親戚は主人公にあえてそういう心理的プレッシャーをかけることで、ノーということの難しさと大切さを伝えようとしていたのでした・・・。
会社員として生きていると、本当は行きたくもないのになぜか飲み会に誘われたりすることがあります。そんなときにノーと言えれば良いものを、ついイエスと言ってしまうことがあります。そして深い後悔に襲われます。
理由ははっきりしています。他人を失望させたくない、関係が悪化するのが怖い、といった思いが強いことが多いです。それと、内向型の人々は平和を好むため、対立や緊張が生じる場面を避けようとします。しかし、ノーと言えないことでデメリットが生じます。自分の時間やエネルギーを犠牲にして他人を優先することで、疲弊やストレスが蓄積します。また、イエスと言うことで、「頼めば応じてくれる」と相手は学習してしまうので、他人に付け込まれやすくなり、不公平な負担を強いられやすくなります。結果、自分の意志や価値観が尊重されないことで、自己評価が低下します。
世の中の人間の半分は、じつは内向型だと言われています。つまり少数派ではないのです。しかしこの性格の人は激しい自己主張をしないために少数派のように見えてしまいます。しかし、ノーと言うべきときにノーと言わなければ、残り半分の性格の人は内向型の性格に理解を示す機会は訪れないでしょう。
ティボ・ムリス著『「ひとりが好きな人」の上手な生き方』という本によると、適度に自己主張する(ノーと言うこと)は大事であり、そうすることで初めて外向型の人は内向型の人に理解を示す、と主張しています。
もしそれが現実になれば、内向性は社会の主流になるかもしれない。職場のシステムは内向型の従業員を念頭において再構築され、職場における従業員の交流の仕方は一変するだろう。プライベートでも家族や友人との関係が改善されるに違いない。私たちは内向型として独自の強みを活かし、より大きな価値を社会にもたらすように奨励されるだろう。その結果、社会は内向型と外向型のタイプの人たちに対して平等に配慮するようになるに違いない。
よくよく読むと、「社会は内向型と外向型のタイプの人たちに対して平等に配慮するようになるに違いない」と書かれています。ということは、今現在は平等に配慮されていないということですね。それは私のような内向型の人間がノーと言うべき時にノーと言わないから。
思うに、内向型の人々にとって「ノー」と言うのは簡単なことではありませんが、それは決して自己中心的な行為とは言えないでしょう。むしろ、自分自身を大切にし、他人との健全な関係を築くための重要なスキルです。断ることを恐れず、自分の価値観や優先順位に基づいて判断する勇気を持つことが大事だと、この記事を書きながら改めて思いました。
参考書籍:
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