2024年11月23日に再開館した三菱一号館美術館で開催されている「ロートレックとパリ 1900年」展を訪れてきました。この展覧会は、19世紀末から20世紀初頭のパリを代表する画家アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックの作品とともに、その時代のパリ文化を紐解く素晴らしい内容でした。美術館が長期休館を経て新たに開館したということもあり、期待感と特別な感慨を胸に、会場に足を運びました。
ここを訪れるのは久しぶりだな・・・、と思いきやコロナの影響でガラガラで展示を見られてラッキーと思ったことを鮮明に覚えているので、自分が思っているほど長期にわたって訪問しなかったわけではありません。ただ高級感のある中庭はいつ訪れても素敵です。
展覧会では、ロートレックの代表作であるポスターやリトグラフが数多く展示されていました。その中でも特に印象的だったのは、ムーラン・ルージュの踊り子たちを描いた作品群です。彼の絵には、単なる美しさだけでなく、当時のパリのエネルギーや雑多な雰囲気が生き生きと表現されており、観る者をその時代に引き込む力があります。踊り子や俳優、娼婦たちといった、社会の表舞台だけでなく裏側に生きる人々の姿を温かい目線で描いた彼の視点には、鋭さと同時に深い人間味を感じました。
そうは言ってもこの展覧会のテーマは「不在」。作者ロートレックをはじめとして、作品に登場する人はもう誰ひとり生き残っていません。19世紀末~20世紀初頭の華やかなパリ。「ベル・エポック」と呼ばれるこの時代。フランス語で「美しき時代」や「古き良き時代」を意味し、パリが芸術的にもっとも華やいだ時代として知られています。しかし、その華やかさは今や「不在」となり、現代の私たちにとってはロートレックの作品を通じてしか感じ取ることができません。これらの展示物は、パリの記憶と現実の間に存在するギャップを埋める役割を果たしながらも、消え去ったものへの切なさを際立たせていました。
この展覧会を通じて、ロートレックが描いた19世紀末のパリが鮮やかに蘇ると同時に、それが永遠に「不在」となる運命にあったことを痛感しました。これは21世紀に生きる私たちも同じ。すべての人は、その生命がいつか果てる日がやって来るのです。
今回の展覧会では、ロートレックが描いた「不在」と、再び姿を現した三菱一号館美術館の「存在」との交差点に立ち、芸術と時間が紡ぐ不思議な物語に深く心を動かされました。
展覧会の後半には現代フランスを代表する美術家ソフィ・カルの作品が展示されています。写真が主であり、墓所などを素材にしているその表現方法には、やはり「不在」とでも言うのか、あるいは喪失感のようなものが感じられます。また、美術品の盗難をテーマにした展示もあり、ああそうだな、たしかに盗まれて失くなってしまうのも「不在」の一種だよなと思わされます。これは策士だと思いました。
東京駅から徒歩数分の場所にある三菱一号館美術館。定期的に通いたい場所が戻ってきたことを嬉しく思います。
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