当たり前すぎる話ですが、機関銃を装備した軍人に素人が竹槍を持って突撃しても間違いなく射殺されます。そんなことは試してみるまでもなく分かるでしょう。映画『ラストサムライ』の最後の戦いではガトリング砲の威力の前に、馬に乗って突撃しようとする侍たちがなぎ倒される場面があります。史実では、アメリカの南北戦争終結後に大量の中古の武器が出回り、一部が武器商人を経て日本にも輸入されていました(NHK「新幕末史グローバル・ヒストリー」より)。『ラストサムライ』はあくまでも映画ですが、現実でも機関銃を持っていれば竹槍なんか何でもないのは言うまでもないですね。
はだしのゲンの父・大吉は正直にも「こんな事でアメリカに勝てるわけないだろう」と竹槍訓練を否定します。ばかりか、日本のことを思うがゆえに戦争を否定していますが、そうした言動は周囲の人から受け入れられるはずもなく、非国民扱いされてしまいます。
これって「認知的不協和」の典型例ではないでしょうか。
「認知的不協和」とは、心理学の概念で、矛盾する認知を同時に抱えた状態や、その際に感じる不快感やストレスのことを指します。アメリカの心理学者レオン・フェスティンガーによって提唱されました。もっとやさしく言い換えると、人は自分が深く信じていたことを否定する証拠を突きつけられると、考えを改めるどころか強い拒否反応を示し、ときにその証拠を提示した人物を攻撃しさえするのです。
実際にゲンの父はそれで非国民ということにされてしまいますし、『はだしのゲン』はフィクションですが実際にそういうことは日本中で起こっていたはずです。
しかしこれはなにも戦時中の日本に限った話ではありません。マシュー・サイド氏の著作『失敗の科学』という本をひもとくと、似たような話が大量に出てきます。
たとえば、ある新興宗教の教祖が1954年12月21日に大洪水が発生して世界が終末を迎えるという予言をしました。そんな予言、外れるに決まっています。案の定外れました。この教団の信者は幻滅したか。いえ、しませんでした。信者たちは教祖を否定するどころか、前にもまして熱心な信者になる者すら現れました。なんと彼らは自分たちの信念を変えることなく、予言が外れたという事実を、「自分たちがそういう予言を流布したからこそ、神が世界を救った」という解釈に塗り替えてしまったのでした。
このほか、犯罪に走りそうな少年少女たちを更生させる「スケアード・ストレート・プログラム」では、80~90%もの更生率ということになっていたものの、その統計を取得する方法そのものに問題があり、選択バイアスが作用していました。改めて、非行歴のある若者をこのプログラムを受けたグループと参加しなかったグループに分類したところ、再犯率はプログラムを「受けた」グループのほうが高いことがわかってしまいました。いやむしろ、このプログラムは非行青少年の再犯率を上昇させてしまうということがデータで明らかになってしまったのです。
・・・ところが、この記事の最初で触れたようにそういうデータが提示されるやいなや、スケアード・ストレート・プログラムを擁護する人の多くは、そうした検証結果を前にしてもなお一層プログラムの有効性を確信するようになってしまったというのです。
こうした実例を見ていくと、ゲンの父が非国民呼ばわりされてしまったのは日本のとある時代に限った話ではなく、世界のどこでも起こり得る話だと言わざるをえません。この記事を書いていて、私はますます人が嫌いになりました。友だちも欲しくないとますます思うようになりました。
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