オーケストラ、とくに定期演奏会ともなればマーラーやブルックナーはもちろん20世紀の作曲家が多くプログラムに組み込まれます。
他方で、なんだかハイドンの作品は見かけません。今に始まった話ではないのでしょうけれども、「昔と随分変わったな」という気がします。まあ「昔」なんて私が生まれる前のことですが、古本屋で昔のクラシックの本を読んでいると昔が今に思えてくる(たとえ昔の本であってもそれを読んでいるのは今現在のことですから)わけです。
とくにハイドンの『交響曲第45番 嬰ヘ短調 告別』は発想のユニークさから言ってももっと注目されていいはずの作品です。これぞハイドンらしい発想と創造力が凝縮された作品で、この交響曲が生まれた背景には、ハイドンが長年仕えていたエステルハージ侯爵家の宮廷楽団が、ある夏の滞在期間中に家族と長い間離れ離れになる状況が続いたことがあります。そのため、ハイドンは侯爵に対し、間接的に演奏者たちの帰宅を訴えるべく『告別』を作曲しました。このエピソードが曲の構成に大きな影響を与え、ユーモアと独自のメッセージが込められた作品となっています。
『告別』交響曲には、いくつかの特別な工夫が施されています。その代表的なものが、楽章構成とフィナーレの演出です。第1楽章から第3楽章までは伝統的な交響曲のスタイルに則って進行しますが、最も特徴的なのは第4楽章の終わり方です。ここで、通常のフィナーレとは異なり、音楽が段階的に消えていくという特別な演出が用意されています。
この終楽章の演出が「告別」と呼ばれる所以でもあり、当時としては非常に斬新なアイデアでした。終楽章の最後に差し掛かると、徐々に楽器が演奏を止めていきます。奏者たちは蝋燭を吹き消しながら、楽器を持ってステージから退場し、最終的には2人のヴァイオリン奏者だけが残って演奏を続けます。この仕掛けには、長期間の宮廷滞在で疲れた演奏者たちの帰宅願望が込められており、侯爵への暗黙のメッセージとなっていました。
また、この交響曲には音楽的な緊張感や抑揚の工夫も多く盛り込まれています。第1楽章は速いテンポで始まり、活気のあるメロディーとリズムが展開されます。これに続く第2楽章は、穏やかで落ち着いた雰囲気を持ち、楽章ごとに異なる色彩を持たせているのです。そして、第3楽章ではメヌエットの形式が取り入れられ、軽快さと同時に宮廷らしい優雅さが感じられます。これらの楽章を経て、フィナーレではクレッシェンドとデクレッシェンドが巧妙に使われ、演奏が少しずつ消えていく独特の感覚が生み出されています。
このように、ハイドンは音楽的要素と視覚的な演出を組み合わせることで、エステルハージ宮廷の観衆に鮮烈な印象を与えました。観客にとっても、楽器の音が徐々に消えていき、最後にはほとんど無音の空間になるという体験は斬新で、宮廷の人々に強いメッセージを伝えたことでしょう。この演出は、音楽が単なる聴覚的な楽しみを超え、視覚的なドラマを伴う表現手段として用いられた初期の例といえます。
さらに、「告別」交響曲はハイドンのユーモアと人間的な温かさも表現しています。宮廷楽団の団員たちの気持ちを代弁しながらも、ハイドンはエステルハージ侯爵への尊敬を込めてこの作品を作りました。こうした背景があることで、ハイドンの音楽は単なる形式や技術の見本ではなく、当時の状況に寄り添う人間的な共感が込められているのです。そのため「告別」交響曲は、単なる交響曲という枠を超え、音楽による物語表現としても評価されています。
エステルハージ侯爵はハイドンのメッセージを読み取ったことは言うまでもなく、ただちに離宮からの帰宅準備に取り掛かったと伝えられています。
と、色々書きましたが、ハイドンの交響曲「告別」は、当時としては非常に革新的な表現手法を取り入れた作品です。音楽の構成や楽器の使い方、視覚的な演出、そして背景にあるエピソードを知ることで、この交響曲の魅力がより深く感じられるでしょう。ハイドンの音楽には、聴衆を楽しませるだけでなく、彼自身の創造性やユーモア、さらには演奏者やその家族への共感が込められており、今日においても多くの人に愛され続けています。
ただ・・・、やはりユーモアはユーモアでも高級なユーモアというのは今の時代の流れにそぐわなくなってしまったようです。なんてこったい。
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