アーベントロートという指揮者のことを知っている・覚えているなんていう人はほとんどいないと思っていました。

アーベントロートは主に戦前に活躍したドイツの指揮者。1883年生まれの彼はワルター、シューリヒト、フルトヴェングラー、クレンペラーといった巨匠とほぼ同世代であり、戦後は東ドイツにとどまり主にライプツィヒのオーケストラを指揮していました。ワイマールに暮らしていた彼は自転車を愛用しており、その姿は市民から愛されていたようで、73年の生涯を終えたときは多くの市民が道に立ち並び、棺が墓地に運ばれるのを見送ったと伝えられています。

昔のクラシックの本を読んでいると、たまに彼の名前が登場することがありました。でもそれは1990年代くらいまでではなかったでしょうか。私の感覚では21世紀になってからは名前すら見かけなくなりました。次から次へと注目の演奏家が現れるわけですから、「時代の波間に没した」のです。
ところが不思議なことがあるものです。アーベントロートのボックスセットが発売されるというのです。HMVのサイトによると、

かつて東ドイツのエテルナ・レーベルから発売されたアーベントロートの一連の録音は、モノラルながらバランスの良い聴きやすい音質と個性的な演奏で知られています。
 ベルリン・クラシックスの「エテルナ・オリジナル・マスター・シリーズ」ではドイツのマスターテープから2022年に新たなマスタリングをおこなって7点(15枚分)を発売済み。このボックスはそれら7点のアルバムをそのままの状態でまとめたものです。

「彼の指揮はある種の破壊的なエネルギーに満ちていた。」とギュンター・ヘルビヒも称えるアーベントロートの個性的演奏の数々を手軽に楽しめるセットです。
現代の価値観からすると「おやっ」と思うところもあるかもしれません。戦前いや19世紀のスタイルが録音として残されているわけですから。とくにバッハ、ヘンデル、ハイドンは今では小編成のオーケストラで演奏するのが当然とされていますが、1950年代はフルトヴェングラーもカラヤンもミュンシュも数十人規模のオーケストラで演奏していました。ですからアーベントロートも同様のスタイルで演奏していても何の不思議もありません。

特筆すべきはやはりブラームスでしょう。『交響曲第1番』の演奏がとくに有名ですが、HMVの解説を読むとそれも納得がゆきます。

◆ブラームス本人がマイニンゲン宮廷楽団に客演した際、楽譜に無いことをあれこれ指示。
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◆ブラームスの指示などをシュタインバッハが自身の楽譜に書き込み。
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◆ブルーメがそのシュタインバッハの楽譜や指揮、口伝などをもとにまとめて1933年に人智学系出版社から謄写印刷で刊行。

上記のブラームス系伝承に加えて、以下のような事情もあります。

◆アーベントロートはシュタインバッハの後任としてケルンで長く仕事。
◆アーベントロートがシュタインバッハと接触したり演奏を聴いたりした可能性は非常に高い。
◆ブラームス本人が自作の指揮者として最も好んだのはビューローだったというのは当時有名な話。
◆ビューローの指揮は緩急自由でかなりぶっとんだものだったそうで、ブラームス本人は実直なハンス・リヒターの指揮には不満を表明し、ビューローを称えるのが常。
◆ビューローはニキシュよりも人気があり、ギャラも当時最高(ニキシュのボストン響音楽監督年俸1万ドルに対し、ビューローの北米客演報酬は6週間滞在で1万3千ドル、マネジメントも1万2千ドルの利益を得ています)。
◆20世紀初頭にマックス・フィードラー[1859-1939]がビューロー系ともいえる自由な演奏でドイツで高い評価を獲得。フィードラーはブラームスの知人でもあり、録音も存在。

「楽譜に無いことをあれこれ指示」。ブラームスほどの作曲家であっても、楽譜のなかに盛り込める指示は、彼が頭の中で「かくあるべし」と考えていたことのすべてではないこと、むしろごくわずかであることを示唆するものでしょう。そのブラームスの指示を直接聞きながら実際の演奏に落とし込んだのをアーベントロートは見聞きしていたことは想像に難くありません。

つまり超個性的とされる彼のブラームスも、そのもとを辿ってゆくとブラームスの意図があるということなのでしょう。その意味で、アーベントロートのCDというのはただ単に個性云々というだけにとどまらず、19世紀の演奏スタイルとはどのようなものだったのかをうかがい知ることができる貴重なものであると言えるでしょう。