読みにくい本にはいくつかの特徴があり、これらが読者の理解や集中を妨げる要因になることが多いです。以下に一般的な特徴を列挙します。
専門用語が多い
特定の分野に特化した専門用語が頻出し、説明が少ない場合、読者が理解しにくくなります。抽象的な表現が多い
抽象的で曖昧な表現が多いと、具体的なイメージが湧きにくく、内容が掴みにくくなります。文章が冗長
同じ内容を繰り返したり、不要な説明が長かったりすると、テンポが悪くなり、読み進めにくくなります。文体が複雑
長い文章や複雑な構文が多く、読み解くのに時間がかかると、集中力が途切れやすくなります。話題が頻繁に飛ぶ
話題が脈絡なく頻繁に変わると、読者はどの内容が重要なのか、また次に何が出てくるのか分かりにくくなります。背景説明が少ない
前提知識があることを前提とした説明や、背景情報が不足していると、理解のハードルが上がります。難解な言葉遣い
古風な言葉や難しい漢字、普段使わない語彙が多いと、読者が内容を把握しづらくなります。構成が複雑
複数の話題が絡み合い、章や節の分け方がわかりにくいと、全体像を掴むのが難しくなります。イラストや図が少ない
抽象的な概念を理解するための視覚的なサポートがない場合、読者が内容をイメージしにくくなります。フォントやレイアウトが見づらい
小さな文字や読みづらいフォント、行間が詰まっているといった物理的な要因も、読みやすさに大きく影響します。これらの特徴が一部でも当てはまる本は、読者にとって負担が大きくなり、結果的に「読みにくい本」と感じられやすくなります。
20世紀歳代の指揮者とされるヴィルヘルム・フルトヴェングラーとその家族を中心に、「ドイツ教養主義」「市民社会」などの興隆と、それらがナチスドイツの台頭を経て衰退に向かってゆく様子をたどった野心的著作とされるのが『フルトヴェングラー家の人々 あるドイツ人家族の歴史』(エバーハルト・シュトラウプ著)です。
うーむこの本を読めばフルトヴェングラーの生涯がわかるだろう、どうやって彼独自の音楽観が養われたのか、どうやってあの指揮法をわがものとしたのか、芸術家として彼はナチスとどう向き合ったのか、戦後急速に知名度を向上させてきたカラヤンについてどう思っていたのか、そんなことが明かされると思っていました。
が、期待のしすぎでした。そもそも文章が大変抽象的でリアリティがなく、読んでいて超つまんねえのでした。一般向けの本というよりも研究書という扱いになるからでしょうか、とにかく読者に興味を持たせよう、フルトヴェングラーというパーソナリティに共感を持ってもらおうとかいう工夫がまったく感じられませんでした。
フルトヴェングラー家では彼の妹、メールヒェンあるいはメーリットという愛称で呼ばれていたマルタ・ユーディットだけが、己れに沈潜する美的な自己救済の世界から離れていった。人工的なパラダイスから飛び出して、純粋に美的な目的の彼岸で活力のある人生と道徳的な生を結びつけるためだった。この両者合体のなかから、揺らぐことのない愛と結婚生活のなかに確固たる基盤を見出す現実が作り上げられる。彼女はホーフマンスタールの登場人物のように、美しい生の中での精神の死に倦み、世界に驚きを持って関わった。美しき魂の魅力ある内部の、繊細な動きを聴こうとして完全に硬直状態に陥る気はなかったからである。
(『フルトヴェングラー家の人々 あるドイツ人家族の歴史』p.109より)
これを読んでもマルタというのは結局どういう人なのか具体的にイメージが湧いてこないです。でもこんな調子で400ページぐらい続きます。私は140ページくらい読み進めましたが、何が書いてあったのかその日の夜には右から左へ記憶が消失してしまいました。
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