ヴァイオリンを学ぶうえで必須になるのが、指導者との巡り合いです。というか独学で上達するという手段はありえない楽器ですから指導者なしでの練習という道はありません。
というわけでどこかの先生に教わるわけですが、人によっては〇〇の分野をA先生、△△の分野をB先生、というように複数の先生から指導を受けるということだってありえます。普通はそこまで金と時間をヴァイオリンに配分できませんが。
しかしながら音楽大学に進学するとオーケストラはA先生、ヴァイオリンはB先生というように複数の指導者からレッスンを受けることになります。プロを目指して音楽大学の門をくぐったわけですからそれも嬉しいことではありますが、それはそれで結構厄介なようです。
音楽大学の名門、桐朋学園大学をある時期に学んだ場合ですと、オーケストラは齋藤秀雄、ヴァイオリンは江藤俊哉に指導を受けた、という人もいます。ヴァイオリニストの和波たかよしさんもその一人。ところが2人の指導の力点の置き方が違っていて苦労したようです。
江藤俊哉は、
一つ一つの音の出し方について、それはそれは細かく教えて下さっていた。軟らかく美しい音、そして音と音との間をなめらかに繋ぐレガート奏法は、江藤先生の最も得意とっされる分野であり、ボーイング(弓の動かし方)があまり上手ではなかった私には、まことに貴重なレッスンの連続であった。(和波たかよし『ヴァイオリンは見た』より)
ところがオーケストラ指導の齋藤秀雄は、
音色について注意されてはいたが、どちらかと言えば、学生たちの情熱を結集してダイナミックで元気な音楽を作る方向に、私たちを導いておられたような気がする。先生は精密なアンサンブルを要求されたが、それは、奏者たちがお互いに音を聴き合って、抑制し合いながら洗練された音楽を目指すというより、むしろきっちりと縦の線を揃え、歯切れのよい音楽を作ろうとするものだったと思う。(同書より)
このような違いは、他の演奏家によっても指摘されており、江藤俊哉のレッスンでは、決まり文句は「ねっとりと」。つまり濃厚な表情をつけるための工夫としてボーイングやフィンガリングがあったようです(たとえば4の指をあまり使わないなど)。
齋藤秀雄の場合、オーケストラ指揮のための動作を徹底的に分析し、「たたき」「先入」などの用語で分類し、「その動作」をできるようになるためのメソッドを確立したことが彼の最大の業績であり、それは英語学者であった父が緻密な研究により『熟語本位 英和中辞典』を著した、その血筋がなせる業だったのでしょう。「縦の線」重視のアンサンブルはやはりあの時代に桐朋学園大学で学んだ人が異口同音に語ることであり、だからこそ「最後の夏合宿」においてはモーツァルトのディヴェルティメントで「横の音楽」を奏でたとき、アンサンブルに参加した学生たちはその意味するところをただちに悟り、二度とない唯一無二の響きとなったのでした。
しかし、オーケストラがあり、ヴァイオリン指導があるとなると、ある期日までに『幻想交響曲』の1stヴァイオリンを(2ndでもいいのだが)弾けるようにさらっておかねばならず、同時並行で『クロイツェル・ソナタ』も形にしておかねばならないということでしょう。無理に決まっている。
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