「ラブライブ! スーパースター!!」第3期第3話「白色のセンター」。あらすじは次のようなもの。

トマカノーテのリモートライブに刺激を受け、負ける訳にはいかないと気合いを入れるLiella! Liella!の新しい可能性をみせる為、部長の千砂都は次のセンターに四季を推薦する。センターとは何か、何故自分がセンターなのか思考を巡らせる四季。しかしセンターの予行練習の最中、倒れた四季は保健室に運ばれてしまう。四季のセンターを諦めかけていたLiella!だったが、千砂都には考えがあって…
トマカノーテという名称が定着してしまったのはともあれ、ウィーン・マルガレーテは本格的に澁谷かのんの家に居付いてしまったようです。その割にはかのんに対して噛みつくようなことを言ったりと、長期滞在させていただく立場なんだからもうちょっと言い方をマイルドにしろよとツッコみたくもなります。

ところで第3話でスポットライトが当たるのは四季。でも当の本人はスポットライトが当たったり、センターに立ったりすることに強い抵抗感があったようです。曲がりなりにもラブライブ! で優勝したグループの一員であるからにはノリノリでセンターを引き受けるかと思えばそうでもなかったようです。

それでも、「様々な色がある」ことがこのエピソードでは強調されており、結局四季は「白色のセンター」としてパフォーマンスの要となることを引き受けます。「様々な色がある」というのは要するに多様性が大事だということを言いたいのでしょう。そしてその考え方の延長線上に、あえて目立たないセンターがいてもいいだろう、というアイデアがつながってくるものと思われます。

この控えめで目立たないことをあえて良しとしたコンセプト、なんだか日本らしい奥ゆかしさを感じるような気がします。ライバルキャラとして登場したときのウィーン・マルガレーテをあえてフェラーリとするなら、四季はレクサスとでも言いましょうか。フェラーリはその乗り味やデザインにおいて「自分を表現する」ことが重要視され、存在感を示すことに価値を置いています。フェラーリは「スピードと情熱」を体現するため、ドライバーのエネルギッシュな感情や個性を強く打ち出します。まさにイタリアの車。実際にイタリアに行ってみて革製品とかヴァイオリンとかを目にすると、こういう伝統工芸の現在形がフェラーリであることがなんとなくわかります。理詰めの交響曲ではなく情熱的なオペラに傑作が多いのも似たようなところに理由があるのでしょう。

レクサスはその対極にあり、「控えめな上質さ」や「静かなる力強さ」を表現します。例えば、外観は豪華さを感じさせるものの、派手さや目立つデザインを前面に押し出すのではなく、洗練されたスタイルを強調しています。フェラーリと比べてしまうと生真面目で個性がないかのように見えますが、これは、日本文化における「控えめさ」や「無駄を削ぎ落とす」美学に通じています。

そう思うと、四季のセンターも、一つの選択肢としてアリだろうと思えるのでした。