小説家・百田尚樹さんのクラシックのCDコレクションは膨大なもので、その数たるや2万枚を超えているそうです。1枚聴くのに1時間かかるとすると、2万時間かかります。別の計算をしてみましょう。1日1枚聴くと2万日かかります。ということはおよそ54年かかる計算になります。つまり1周するだけで人生のほとんどが終わっていることになります。
今は小遣いもそこそこあり、またCDも安くなったから、一度に五〇枚一〇〇枚と平気で「大人買い」することが多くなりました。しかしそんな買い方は邪道です。大好きな曲、大好きな演奏家のCDを一枚一枚買うのがクラシックファンの真の楽しみ方であると思いますだいたい一度に五〇枚も買って、楽しむ余裕があるのでしょうか。一日八枚聴いても一週間かかりますし、そもそも毎日仕事と雑用に追われて、一枚をゆっくり聴く余裕もありません。

(『至高の音楽 クラシック永遠の名曲』より)
成功した小説家が小遣い制というのは違和感がありますが、それはさておきこの文章から察するに、「ヴォルフガング・サヴァリッシュ30枚BOXセット」なんていうCDセットを購入してきて、聴くのは数枚程度、あとは死蔵されているだろうなというのがなんとなく想像がつきます。

百田尚樹さんは学生のころはレコードが高価だったので一枚買うのにも必死で、買ってきたらその後は擦り切れるほど繰り返し聴いていたようです。そして将来高級オーディオで音楽を聴きたいと思ったそうです。数十年後にその夢は実現しました。でも当時のほうが、音楽に真剣に向き合っていたのではないか・・・、そう百田尚樹さんは述懐しています。

でもこれは私にも同じことが言えます。真剣に数えたわけではないのですが自宅にあるCDは1,000枚くらいはあるでしょうか。しかし一度聴いてあとは手つかずとなってしまった、ぞんざいな扱いを受けているCDもやはりたくさんあります。「一応シマノフスキの曲も聴いておくか」と思い中古のCD店で入手して、「シマノフスキはよくわからん」。で、CDラックに放置して数ヶ月が経過。「しまった、全然聴いてないじゃないか」と思いもう一度再生すると「シマノフスキはよくわからん」。で、CDラックに放置して数ヶ月が経過。そのままそういうCDがあることすら段々忘れていくわけです。

しかし私も高校生のころはお金が有り余っているわけではありませんでしたから、廉価版のCDでも真剣に吟味して買っていましたし、3,000円の新譜ともなればますます熟考のうえ購入していました。そういうわけで購入するCDは毎月1枚程度。それでブラームスの『交響曲第1番』とかモーツァルトの『ピアノ協奏曲第20番』とかを繰り返し聴いていました。むしろそっちのほうが良かった。それがどういう曲か、なんて繰り返し聴かないと絶対に理解できませんから・・・。

それにしても、経済的に充実して、コレクションも増えれば増えるほど1枚に向き合う時間が少なくなっていくなんて、皮肉なものです。