小説家・百田尚樹さんのデビュー作『永遠の0』は題名のとおり零戦搭乗員・宮部久蔵を主人公とし、命を失うことを避けていた彼がなぜ終戦間際になって神風特攻隊の一員となりそして還らぬ人となったのかという謎が少しずつ解明されてゆくというお話です。

百田尚樹さんによると、この作品のラストシーンを書いているときには感極まって涙を流れるほどで、パソコンのモニターに映る文字がぼやけるたびに書き直し、そのたびに泣いたそうです。

その時流れていた音楽は、マスカーニ作曲『カヴァレリア・ルスティカーナ』の「間奏曲」でした。




百田尚樹さんがクラシックの名曲を解説した『至高の音楽 クラシック永遠の名曲』によると、『永遠の0』を執筆中はこの曲をそれこそエンドレスでリピートしていたようです。改めてこの曲を聴いてみると、宮部久蔵という人物に対して、また神風特攻隊として出撃していった戦没者たちに対して、そして日米が深い憎しみを抱きながら激突したことにより双方に膨大な人的犠牲が生じてしまったことについて、百田尚樹さんが深い哀惜の念を抱いていたことが想像されます。なにしろ「間奏曲」はサラ・ブライトマンを初めとして世界中の様々な歌手が歌詞をつけてカバーしているくらいですから・・・。

『カヴァレリア・ルスティカーナ』の「間奏曲」は、作品全体の中でも特に有名な部分で、その美しさと感情の深さが聴衆を魅了します。この間奏曲は、劇中の重要な場面と場面の間に挿入される音楽で、物語の緊張感や登場人物たちの感情を巧みに表現しています。

主旋律は穏やかで瞑想的な弦楽器によって奏でられ、劇的な展開とは対照的に静けさが際立ちます。この旋律は、シチリアの小さな村で展開する物語の中で、愛と裏切り、そして最終的な悲劇に向かう緊張感を和らげ、一時の安らぎを与えてくれます。
「愛と裏切り」と言っても、物語の筋は兵隊に行っている間に恋人が別の男とくっついちゃった、許せない決闘だ、まではいいのですが、そうやって息巻いた自分が逆に死んでしまうというしょうもないものです。徴兵制がある国だと今でも似たような事件がありそうです。「間奏曲」はまさにこの決闘の直前に演奏し、気分を鎮める効果があります。

作曲者マスカーニは1863年イタリア生まれ。26歳のときに代表作『カヴァレリア・ルスティカーナ』を作曲し、1945年に没するまでこれを超える作品を作ることができませんでした。しかも晩年はムッソリーニに接近したことで「全財産を没収され、ローマのホテルで寂しく生涯を閉じた」(ウィキペディアより)。なんだか可哀想な気がします。

ちなみに『カヴァレリア・ルスティカーナ』の「間奏曲」は『翔んで埼玉 ~琵琶湖より愛をこめて~』のラストシーンでも採用されています。こちらの作品のラストシーンはある意味ラブシーンなのですが、まあこれはこれでいいでしょう。それにしても音楽があるのとないのとでは映像から受ける印象はまったく違ってきます。やはり音楽には人の心を動かす「何か」があるのでしょう。