アメリカ合衆国の大統領を2期8年務めたバラク・オバマは演説の名手として知られていました。政治家ともなれば至る所でスピーチが求められますが、ただ喋ればいいというものではなく、その時国民が直面している政治的課題に対してどういう対応をするのか、何をすればいいのかを明確にし、自分は・国民は何ができるかを説明し、聴衆に勇気を与えて奮い立たせなければなりません。
ナポレオンは「リーダーとは希望を配る人である」と述べました。大統領はそのような資質を備えているべきです。ところがバラク・オバマは生まれつき演説の才能があったわけではなく、他の政治家と同様演説の原稿作成にあたっては何度も何度も推敲を繰り返し、ブラッシュアップしていました。そして本番を迎えます。
2004年にボストンで開催された民主党全国大会で彼が演説したときは、自身の回顧録『約束の地 上』によると「演説の初めは、口調が早すぎたり遅すぎたりして、緊張していることがわかる」。映像を後で見返してみてそう思ったようです。
しかし、私はある時点でリズムをつかんだ。聴衆のざわつきが消えて、静寂が支配した。その後数年の間、私はこうした瞬間が訪れる魔法の夜を何度か経験している。自分と聴衆とのあいだに感情の交流が生まれ、さながら映画のなかで自分の人生と彼らの人生とが突然交わり、ともにその時間を過ごしているような、そういう身体感覚だ。聴衆の存在が強烈に感じられ、姿もはっきりと見え、私の声はかすれそうなほど大きくなり、会場が一体となる。互いの違いを超え、それに代わって可能性が大きく膨らむ結びつきの感覚。そういう瞬間だ。そして、きわめて大切なものがすべてそうであるように、その瞬間はあっという間に過ぎ去り、演説の終わりとともに魔法が解け、興奮も収まっていく。
事実上の「演説デビュー」だったこの機会で、彼は早くも成功体験を味わっています。普通の人であれば「最初は緊張した。何がなんだかわからないうちに終わってしまった」のような感想を持ったはずでしょう。なにしろ全国大会ですから会場には膨大な民主党員がそれこそ全米から集まっていたはず。フロリダとかカリフォルニアみたいな遠方から来た人にしてみれば、ボストンまでやってきて退屈な演説を聞かされたらたまったものではありません。つまり相当期待されてステージに立った・・・、言い換えるとハードルが上がりきったところで成功したということになります。
オバマは自身の経験や家族の物語を演説に取り入れることがよくあります。これにより、聴衆に親しみやすさを感じさせ、自身の主張を具体的で身近に感じさせます。例えば、彼は自らの多様な背景や母親、祖母とのエピソードを通して、多文化主義や教育の重要性を語ることがありました。なにしろ後のアメリカ史上初となる黒人大統領となるわけですから、多文化がいかに一つの国のなかで共存していくか、そのための社会をどう作っていくか、その社会をどう娘の世代に手渡していくかというのは彼にとって最大の課題でした。
それにしても、政治家という職業の、いかに人との対話が求められることか。ワイには無理!
今日は誰とも喋らずに済んだ(幸)
— ぼっち (@3_bocchi) October 12, 2024
コメント