ありがたいことにウェールズにルーツをもつメゾ・ソプラノ歌手キャサリン・ジェンキンスは年に1度は来日してくれます。日本ではたとえばドラマの主題歌に彼女の歌が採用されたとかいうわけではなく、そもそも有力な「地盤」がないという状況です。にもかかわらず、遠路はるばる東京にまでやって来てくれるのですから大変ありがたいことです。

思い起こせば私が彼女のCDを初めて手に取ったのは2008年の、1月か2月だったでしょうか。『夢を生きて Living A Dream』というアルバムでした。当時の私は横浜に住んでいたのですがこの時期は3ヶ月ほど仕事の都合で北九州でホテル暮らしをする羽目になり、多忙でした。要するに色々な意味で疲弊していました。その私の心に、彼女が歌いあげる L'Amore sei tuのなんと響くことか。以来これは私の愛聴盤となりました。

2022年には初めて彼女のコンサートに足を運ぶことができ、その2年後となる2024年にも再び聴きに行くことが叶いました。感無量でした。

印象的だったのは、やはり「ニュー・シネマ・パラダイス」。今回のプログラムは「愛」を念頭に曲を選んでいるようです。どことなく懐かしさもあり、悲しくもあるこの曲を、彼女のシルキーな声で聴くことができるのは一生に何度あるでしょうか(もしかすると最初で最後だったかもしれない)。
同じくモリコーネの「ネッラ・ファンタジア」。これは映画「ミッション」の音楽であり、一般的に言うところの「愛」を遥かに超えた「愛」を表現しようとしているのでしょうか。彼女の柔らかく穏やかな声が印象的で、実際に映画でこのメロディが出てくる場面を思い起こしながら聴きました。

「ダニー・ボーイ」についても触れないわけには行かないでしょう。この曲では、彼女のダイナミックなボーカルが際立ち、感情の深さとパワフルな表現が曲調とマッチしています。力強いボーカルは、彼女の幅広い表現力を存分に発揮し、この楽曲を自家薬籠中のものとしていたと思います。

また、定番の「タイム・トゥ・セイ・グッバイ」も期待を裏切りませんでした。彼女の美しい声が会場全体に響き渡り、感動的なフィナーレを飾りました。この曲では、彼女のコントロールされた声の透明感が一層引き立ち、聞き手に深い余韻を残しました。

このコンサートは、選曲のバラエティが豊かで、彼女の幅広い音楽的才能を存分に楽しめる構成となっていました。それぞれの曲で異なる感情やテーマが巧みに表現されており、彼女の一貫した高いパフォーマンスには感嘆せざるを得ません。加えて、彼女がステージ上で見せる温かい人柄と、(語りかけは英語なのですが)お客さんとのつながりを大切にする姿勢も、コンサートの魅力を倍増させました。

終始心地よい緊張感と喜びに満ちた空気が漂い、そうした雰囲気に包まれた夜は、忘れがたい感動とともに終わりました。彼女の歌唱技術はもちろん、その表現力と舞台上での存在感も素晴らしく、クラシックとポップスの垣根を越えた豊かな音楽体験を提供してくれました。こうした音楽を生で体験できたことは、本当に特別な瞬間でした。

正直、こうした質の高い歌い手が日本ではさほど知られていないのは残念でなりません。一度でもTVに出れば状況は違ってくるのかもしれませんが・・・。