日経新聞2024年10月7日社説「見つめ直したい読書の意義」には、このようなことが書かれていました。
文化庁の調査で、1カ月に本を1冊も読まない人の割合が6割を超えたことが分かった。
知識を身につけ、人格を涵養(かんよう)する上で、読書の果たす役割は重要だ。様々な著者の多様な意見に接することは、自由で健全な民主主義の礎にもなろう。それだけに読書習慣の減退には危機感を覚える。社会全体で対応を考えていく必要がある。
文化庁は「国語に関する世論調査」の中で、1カ月の読書の冊数を5年ごとに調べている。2023年度の調査では、1冊も読まないと答えた人の割合が62.6%に上った。08年度以降の過去3回の調査はいずれも40%台後半だった。「読書ゼロ」の割合が急激に高まっていることに驚く。
本を読まないということと、文字情報に触れないということはノットイコールです。
本の代わりにSNSやブログ、ネットニュースのような文字情報に触れる機会は格段に増えました。ただしこの社説が指摘しているようにSNSは自分と似た考えのものが自動表示されやすく、特定の考えに傾きがちになってしまうという欠点を抱えています。
この社説でも
SNSは現代社会に欠かせない存在だが、情報源の偏りを防ぐ意味でも、読書にはなお大きな意義がある。お気に入りの1冊を心ゆくまで楽しんだり、難しい本を読み通す達成感を味わったりと、読書体験から得られるものも少なくない。
と、読書の意義が強調されています。確かに、集中力をつける方法や、効果的な筋トレのやり方などハウツーものはYouTubeなど動画で学習したほうが、ただの文字情報よりも分かりやすいというメリットはあります。その一方で、こうした動画が公開されている理由は、収益を得ることが目的である以上、どうしてもアクセスアップを意識したものになりがちであり、ネットニュースのタイトルが人目を引くような「盛りすぎだろ」のような表現になっているのと同様に、楽しみ方が分かりやすい方向・刹那的な方向になってしまうというのは避けられないことでしょう。
勢い、フランクルの『夜と霧』のような凄絶な体験を経て記された「人間とは何か」という問いに対する答えのような深い思考とは縁遠くなり、つまりは動画やインターネットの文字情報ばかりに触れているとどうしても深くものを考える、さらに学ぶ、ますます深くものを考える・・・、というサイクルは発生しなくなります。
かつては「TVばかり見ていると馬鹿になる」と言われていたものですが、それはまさにこういうことを指しているのであって、動画ばかり見ていると馬鹿になるのであり、SNSばかり見ているとやはり馬鹿になるわけです。
上皇后美智子さまは、第26回IBBYニューデリー大会(1998年)の基調講演において、幼き日の読書体験というものがいかに自分の精神の発達に貢献したかについて次のように述べられています。
今振り返って,私にとり,子供時代の読書とは何だったのでしょう。
何よりも,それは私に楽しみを与えてくれました。そして,その後に来る,青年期の読書のための基礎を作ってくれました。
それはある時には私に根っこを与え,ある時には翼をくれました。この根っこと翼は,私が外に,内に,橋をかけ,自分の世界を少しずつ広げて育っていくときに,大きな助けとなってくれました。
読書は私に,悲しみや喜びにつき,思い巡らす機会を与えてくれました。本の中には,さまざまな悲しみが描かれており,私が,自分以外の人がどれほどに深くものを感じ,どれだけ多く傷ついているかを気づかされたのは,本を読むことによってでした。(全文は宮内庁HPにて閲覧できます)
人は言葉によって考え、理解し、表現することができます。現に美智子さまのお言葉からも深い教養がにじみ出ており、読書体験に根ざした情緒や思考がその根底にあることがうかがわれます。
つまり、読書をしない人の思考や情緒は、きめが粗く、(以下略)。
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