1945(昭和20)年生まれですから、大ベテランといって間違いないヴァイオリニストの和波孝禧さん。なんと40年近く続いているアフタヌーンコンサートが、東京文化会館小ホールにて2024年も開催されました(10月6日(日))。

プログラムはモーツァルトの「ピアノとヴァイオリンのためのソナタ 変ロ長調 KV454」、ブラームスの「ヴァイオリン・ソナタ 第2番 イ長調」、休憩を挟んでグリーグの「ソルヴェイグの歌」、「ピアノとヴァイオリンのためのソナタ 第2番 ト長調」。(当初予定されていたプーランクのソナタ「ガルシア・ロルカの思い出に」はブラームスに急遽変更となりました。)

ヴァイオリンという楽器は年齢を重ねると弾きこなすのが難しく、衰えるのが早いと言われています。それもそのはず、押せば音が出るギターやピアノとは異なり、弦を押さえる場所が1mm違うだけで別の音が出てしまいます。全曲を通じて「その場所」をピンポイントで押さえつつ、しかもボウイングも意識しなければならないシビアすぎる楽器です。私自身も毎日弾いていて、毎日必ず「もうだめだ」と思います。

そのような楽器を用いつつ、79歳になってもプロとして活動しているのですから頭が下がります。もちろん技術面だけ見るならば最近のコンクールに出場する若手ヴァイオリニストのほうが勝ります。しかしながら音楽はスポーツではありませんから、速く弾ければ、正確に弾ければ、大きな音が出せれば良い・感動的だということにはなりません。


和波孝禧さんの感動的なブラームス

和波孝禧さんの演奏にはれっきとした「音」が刻まれており、聴けば「ああ、和波さんの音だ!」ということが一発で分かります。技術が達者なだけの演奏というのは往々にして「上手いことは確かなのだが、一体だれの演奏なのだろう」ということになってしまがちです。音楽を聴く楽しみはどちらにあるか・・・、言うまでもないでしょう。

本日の演奏会では、プーランクに代わるものとしてプログラムに採用されたブラームスが特筆すべき出来栄えであったと思います。ブラームス特有の、ものをはっきり言わない、自問自答するような、それでいて答えが出てくるとは限らない内省的な音楽こそ、年輪を重ねたのちに演奏すべきものでしょう。英国の指揮者、エイドリアン・ボールトは40歳になるまでブラームスを指揮することを控えていたと伝えられていますがさもありなんと思われます。

和波孝禧さんの演奏は、風光明媚な避暑地のトゥーン湖畔で書かれたことを想起させる第1楽章から始まって、葛藤が色濃く現れたような第2楽章、そして流麗でありながらもやはり憂愁の色が漂う第3楽章と、どこを聴いてもブラームスらしい渋みが漂っていました。私が「クラシック」というジャンルの音楽に期待する様々な要素がぎゅっと濃縮され、良い時間を過ごすことができたという満足感に浸ることができました。

演奏の合間に語られるお話の内容も、「あのときサイトウ・キネン・オーケストラで小澤征爾さんが」といったようなレジェンド級のものであり、こうした貴重なお話が聞けるのもコンサートだからこそ。

来年もぜひこのシリーズコンサートに足を運びたいと強く思いました。