Cuvie先生のバレエ漫画『絢爛たるグランドセーヌ』の25巻では新型コロナウイルス感染症のことがメインになり、学校が閉鎖されて各国から留学していた学生たちは本国に戻ることに。第26巻では2020~2021年が描かれていました。おそらくこの物語の単行本史上、もっとも時間の進み方が早かった一冊になったのではないでしょうか。

奏も、彼女の仲間たちも(そしてそれ以外の舞台芸術関係者全員も)、公演を行うことができず、そればかりか練習すら思うようにいかず、パフォーマンスレベルが低下してしまうという恐れとの戦いとなりました。
奏が思いついたのが、みんなの踊りを録画し、ガラ公演という体裁で動画サイトに投稿するというもの。これがヒットし、どんな状況下であっても諦めない姿勢を世界に届けることができました。その一方で劇場のスタッフは次々と解雇され、公演が成り立たなくなるのではないか、これをきっかけに舞台芸術そのものの存続が危うくなってしまうのではないかという危機感も示されており、4年前はそういう雰囲気のもとで生きていたのだということを改めて感じさせてくれます。

そして英国に帰国した2021年、再び見知った顔ぶれと再会し、切磋琢磨できる仲間たちとの緊張感ある日々を過ごすことができるようになったというところで26巻は終わっています。

私は、このフィクション作品においてはあえて新型コロナウイルス感染症を持ち出す必要はないのではないか、そういうものがない世界線でも良い、と考えていました。なにしろ話が暗くなるし、登場人物がマスクをしていると表情が分かりづらく、ビジュアル的にも映えません。要するに漫画がつまらなくなってしまうのです。

ではなぜCuvie先生はわざわざこの1年を描いたのか。察するに、自由な表現、そしてそれ以前の問題としてレッスンすら思うように行うことができなかったという事実を物語に盛り込むことで、逆に奏たちがいかにバレエを愛しているかを伝えようとしていたのではないでしょうか。実際に、公演関係者たちはなんとしても厳しい制約のもとで公演を実施しようと必死にもがく姿が報道されていました(生活がかかっているのだから当然とも言えるが)。

奏以外の登場人物たちは、それぞれの国に一時帰国したあと一体何をしていたのか。それは詳しく語られてはいませんでしたが、もしかすると27巻以降で「これこれのトレーニングをしていた、その成果はこれこれ」のような形で語られるのでしょうか。作中では、春以降に有観客公演が復活することが述べられていましたが、再びロイヤル・バレエ・スクールの学生たちが本番を目指して研鑽を積む姿が描かれるかと想像すると、次の巻もまた待ち遠しくなるというものです。