ブルーノ・ワルター。1876年生まれ、1962年没の指揮者です。もう亡くなって60年以上が経過しており、彼の名前や録音が言及されることも段々少なくなってきました。昔はモーツァルトやベートーヴェン、マーラーといえば彼の録音、とくに戦後にコロンビア交響楽団とのステレオ盤がしばしば名盤として購入の有力候補にのぼっていました。ただその後様々な指揮者が次々とレコーディングを発表し、また20世紀の終盤から古典派音楽の演奏法が様変わりし、その流れの中でまた新しいCDが次から次へと発売されるようになってからはあまり注目されにくくなっているように感じます。
とはいえ、彼の残した録音の価値がないというわけではなく、今なお注目に値する録音はたくさんあります。例えばフランチェスカッティとのコンビで録音したモーツァルトの『ヴァイオリン協奏曲第3番 、4番』などは素晴らしい演奏だと思います。
この録音において、特に注目すべきはオーケストラつまりワルターの指揮というよりもフランチェスカッティの独奏でしょう。
演奏方法はちょっと古臭いというか、ところポルタメントが用いられていたりと今のヴァイオリン学習者が先生の前でそれをやるとすぐに「やめなさいその弾き方は」と言われてしまうことは間違いないでしょう。今どきのコンクールでもこういう演奏だときっとすぐに落選してしまうでしょう。
この録音において、特に注目すべきはオーケストラつまりワルターの指揮というよりもフランチェスカッティの独奏でしょう。
演奏方法はちょっと古臭いというか、ところポルタメントが用いられていたりと今のヴァイオリン学習者が先生の前でそれをやるとすぐに「やめなさいその弾き方は」と言われてしまうことは間違いないでしょう。今どきのコンクールでもこういう演奏だときっとすぐに落選してしまうでしょう。
しかしながら問題は演奏方法が古臭いか新しいかではなく、私たちの心を感動させるか感動させないか だと思います。その意味で、フランチェスカティの独奏は明らかに心に響いてくるものがあります。気品のある歌い口、 儚げなニュアンスを含んだ弱音、 こうしたものは大型のコンサートホールではなかなか捉えづらい美しさであり、 これが録音であるからこそ微に入り細を穿って鑑賞することができます。
オーケストラの演奏、言い換えれば ワルターの指揮では第3番の第2楽章で注目すべき点があります。
オーケストラの演奏、言い換えれば ワルターの指揮では第3番の第2楽章で注目すべき点があります。
この穏やかな楽章においてワルターもまた「古典音楽」というにふさわしい気品に溢れた穏やかな美しさに満ちた音楽を奏でています。こういうものが私たち一般の人が想像する「いわゆるクラシック音楽」王道中の王道であると言えるでしょう。こういう音楽が教養の証として様々な音楽の頂点に立つものとして尊敬されていた時代。今にして思えばある意味権威主義と言えるのかもしれませんが、その一方で 美しいものが 本当に美しいのだと正当な評価を受けていた時代だとも言えるでしょう。
この記事を書くために改めてワルターとフランチェスカッティが残したモーツァルトの『ヴァイオリン協奏曲第3番、第4番』の録音を聞いてみて、最近のヴァイオリニストが忘れてしまっている、しっとりとした美しさに満ち溢れていることに改めて驚きました。 できればこういう演奏をサントリーホールや 東京文化会館で耳にしたいのですが、 もしかしたらもうそういう時代ではなくなったのかもしれません。残念なことです。
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