たまに思い出すのですが、このブログは「友だちいない研究所」。もともと友だちがいない私がぼっちな暮らしについて書き連ねることを目的として始めました。
のはいいのですが、2、3ヶ月もすればぼっちネタは尽きてしまい、段々と他のことについても触れるようになりました。そうでもしなければ続けられなかったからです。
今年(2024年)の夏は何件か美術館・博物館の展覧会に足を運びました。そこでは、友だち同士・夫婦同士で来ている人がけっこういるなということを感じました。そりゃ感想を交換しあったりするという楽しみはあるものの、私は「人と美術館なんて、自分には絶対向いてないな」とつくづく思いました。絵画は一人で見ても二人で見てもゴッホはゴッホ。ピカソはピカソ。二人で見たからといって「ひまわり」の色彩が変化したり、「ゲルニカ」が巨大化するわけではありません。見るのは自分の目。その映像を理解するのは自分の脳。二人で見たら印象が変わった、という人のことを私はいまいち信用する気になれません。
別の言い方をするうと、私は一人でコンテンツをじっくり見て、そこに没入することに幸福を感じるタイプの人間らしく、他者=ノイズでしかないのでした。
そこで気になって世の中の名言を調べてみたところ、没頭することの大切さを強調したものがいくつもいくつも見つかりました。たとえば・・・。
アルベルト・アインシュタイン
「私は特別な才能があるわけではない。ただ、人よりも好奇心旺盛であるだけだ。」
→ アインシュタインは、好奇心と没頭の重要性を強調していました。
レオナルド・ダ・ヴィンチ
「経験は良い教師である。しかし、彼女は高い授業料を取る。」
→ ダ・ヴィンチは、芸術や科学における探求心を持ち、没頭することが偉大な結果を生むと信じていました。
スティーブ・ジョブズ
「心から何かを求めていれば、あなたの周りの人々がその現実を一緒に作り出してくれる。」
→ ジョブズは、成功には時間と情熱、そして完全な没頭が必要だと考えていました。
ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ
「私は自分の絵に命を吹き込みたい。そこには何かがあるからだ。」
→ ゴッホは、自分の芸術に全てを注ぎ込むことで、深い感情と没頭を表現しました。
マリー・キュリー
「私は一度に一つのことにしか集中できない。」
→ キュリーは、科学研究に没頭し、その結果としてノーベル賞を受賞するなど、大きな成果を上げました。
これらの名言は、偉大な成果を達成するためには、完全に没頭することが必要であるという共通のテーマを持っています。もちろん彼らは私みたいに友だちがいなかったか、というと違うと思います。ただし、何かに没頭することなくして彼らは成功することはなかったはずです。私にとって没頭するということは、「周りに人がいないこと」「誰も話しかけてこないこと」が必要条件となります。もちろん私がそれでジョブズみたいに成功するはずもありませんが、いろいろ考えた結果私にとってぼっちになることが自分にとってのベストだと改めて自覚しました。ああ、友だちいなくてよかった!!
「私は特別な才能があるわけではない。ただ、人よりも好奇心旺盛であるだけだ。」
→ アインシュタインは、好奇心と没頭の重要性を強調していました。
レオナルド・ダ・ヴィンチ
「経験は良い教師である。しかし、彼女は高い授業料を取る。」
→ ダ・ヴィンチは、芸術や科学における探求心を持ち、没頭することが偉大な結果を生むと信じていました。
スティーブ・ジョブズ
「心から何かを求めていれば、あなたの周りの人々がその現実を一緒に作り出してくれる。」
→ ジョブズは、成功には時間と情熱、そして完全な没頭が必要だと考えていました。
ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ
「私は自分の絵に命を吹き込みたい。そこには何かがあるからだ。」
→ ゴッホは、自分の芸術に全てを注ぎ込むことで、深い感情と没頭を表現しました。
マリー・キュリー
「私は一度に一つのことにしか集中できない。」
→ キュリーは、科学研究に没頭し、その結果としてノーベル賞を受賞するなど、大きな成果を上げました。
これらの名言は、偉大な成果を達成するためには、完全に没頭することが必要であるという共通のテーマを持っています。もちろん彼らは私みたいに友だちがいなかったか、というと違うと思います。ただし、何かに没頭することなくして彼らは成功することはなかったはずです。私にとって没頭するということは、「周りに人がいないこと」「誰も話しかけてこないこと」が必要条件となります。もちろん私がそれでジョブズみたいに成功するはずもありませんが、いろいろ考えた結果私にとってぼっちになることが自分にとってのベストだと改めて自覚しました。ああ、友だちいなくてよかった!!
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