毎日見ているので「ああそうかな」くらいにしか思わなくなってしまうのですが、改めてヴァイオリンの教本とか音階練習の本の表紙を眺めてみると、あることに気づきます。

ださい。表紙が。

ヴァイオリンを弾く人ならみんな持っている(たぶん)、小野アンナ著「ヴァイオリン音階教本」。みんな持ってるだろうと今書きましたが、高田馬場で教えてくれた先生は私にこの本を買えと言いませんでした。浜松で教えてくれた先生もこの本を買えと言いませんでした。3人目の先生に出会って初めてこれを買えと言われました。ということはずっと高田馬場にいたらそもそも音階練習の大切さに気づかなかったかもしれません。知らないって恐ろしいものです。

とにかくこの教本ですが、いやこれに限らずヴァイオリンの教本の表紙はデザインがださい。小野アンナ著「ヴァイオリン音階教本」は初版発行が1961年。60年以上昔の出版物であり、察するに版を重ねているものの単純に重版しているだけであって、表紙デザインを改めようとか、古臭いフォントを一新しようとかいうところまでは手が回っていないようです。まああくまでも音階が弾けるようになるための本であって一度本を開いてしまえば表紙なんて見るはずもありませんから、ださくてもいいということなのでしょう。教本の表紙は、内容にフォーカスするためにシンプルに作られることが多いようですが、その結果、デザインが地味で魅力に欠けるように感じることがあります。

文庫本の世界では、有名漫画家などがカバーイラストを手掛けることがあります。

毎年、夏休みの読書感想文の宿題に向けて、各出版社が文庫フェアなどを催す中、昨年(注:2007年)、集英社では小畑健が太宰治の不朽の名作『人間失格』の表紙を描き下ろし発売したところ、3ヶ月で10万部を突破するという文庫作品としては異例のヒットを記録。作風は当然異なるが、人間の暗部に迫った『人間失格』と『DEATH NOTE』の世界観が一致し、『DEATH NOTE』の読者だった10代の若者が昭和の文学に触れる機会を作った。

(https://www.oricon.co.jp/news/55783/full/より)

ヴァイオリン教本の世界でそういうことが起こらないのは、たとえば夏目漱石なら角川書店とか新潮社とか複数の出版社から出版されており競争が起こりやすい一方、小野アンナなら音楽之友社からしか出版されていないなど、そもそも競争が起こりえないからなのでしょう。

ではブルッフとかメンデルスゾーンとかモーツァルトの協奏曲はどうか。これなら複数の出版社から楽譜が出ています。これなら競争が起こるはず・・・、と思って調べたもののどこの出版社も「煎餅か!」と言いたくなるような地味な表紙デザインでした。クラシックだから煎餅がお似合いだということでしょうか。いっそ韓国のアイドルを表紙に使うような尖った企画はないのでしょうか。察するに、古典芸能の世界ではそういう余計な尖りはいらん、ということなのでしょう。というわけで2050年になってもおそらく小野アンナの表紙は今のままなのかもしれません。別にいいけれど。