名探偵コナンこと工藤新一はヴァイオリンが弾けるという設定になっています。コナン・ドイルが作り上げたキャラクターであるシャーロック・ホームズもヴァイオリンが弾けるので、これに準じたのでしょう。

劇場版『戦慄の楽譜(フルスコア)』では、ピアニスト(のちオルガニスト)やヴァイオリニスト、声楽家たちが登場し、絶対音感など音楽にまつわる能力が物語の鍵となっています。この作品に登場するヴァイオリニストはストラディヴァリウスを弾くという設定になっていますが、現代の日本でこれを購入しようとすると(実際にはNYやロンドンのオークションで落札することになるはずですが)、出来の良い・または由来がはっきりしている(たとえばナポレオンが所有していたなど)ものであれば10億円くらいの価格になることは間違いないでしょう。ホームズは質屋のご主人がその価値を知らないことをいいことにストラディヴァリウスを55シリングで買ったということになっていますが、19世紀末~20世紀そして21世紀にかけてヴァイオリンの名器は価値が上昇しつづけ、個人のポケットマネーでの購入は絶望的になってしまいました。結果的に、ストラディヴァリウスやグァルネリ、アマティといった名器は個人所有ではなく企業や財団法人が保有し、これをヴァイオリニストに貸与するという方式が採用されるようになっています。

さて『戦慄の楽譜』ではコナンがヴァイオリンで「アメイジング・グレイス」を演奏する場面があり、毛利蘭は「これは新一の音だ」とただちに聴き分けています。なぜ彼の音だと分かったのか? それは、彼の演奏には変な弾き癖があるからだとか。一体どんな癖なのか?


工藤新一(名探偵コナン)のヴァイオリンの弾き癖とはどんな癖なのか

「なくて七癖」ということわざがあります。自分では自覚していなくてもつい出てしまう、それが癖です。自分は気づかないのに、第三者がみるとすぐわかる。コナンが「変な弾き癖って?」と考えても思い当たらなかったのはこれが理由でしょう。

では一体どんな弾き癖だったのでしょうか。私は『戦慄の楽譜(フルスコア)』を視聴してみて、「ああこれが弾き癖なんだ」と思い当たるところがありました。私自身もヴァイオリンを演奏していて、先生から「それやめろ」と言われてしまう癖です。

それは、ポルタメントを入れてしまうということです。
音楽は音の上下運動によりメロディが成立しますが、音が上がったり下がったりするとき、たとえばレからミへ上昇するとき、指をさっと動かせば当然音はパッと切り替わります。ポルタメント奏法の場合は、指を滑らかにずらしながらレ→ミへ移動するので、なんとなく演歌っぽくなってしまいます。



このポルタメント奏法、たとえばチャイコフスキーで用いるとロシア情緒たっぷりな雰囲気が出る一方で、バッハやモーツァルトでやると下品になってしまって先生から「やめろ」と言われてしまいます。そもそもバッハやモーツァルトの時代にポルタメント奏法はなかったらしいし・・・。

工藤新一の演奏もところどころでポルタメントが用いられています。『戦慄の楽譜』のAmazon Primeの時間表示では1:48:36~38のあたりです。このポルタメントを耳にして、毛利蘭は「新一!?」と走り出します。

なぜこれが弾き癖と言われるのかというと、時代によって演奏スタイルは変わってくるのですが、近年ではポルタメント奏法を使うヴァイオリン奏者はそれほど多くありません。かつてはミッシャ・エルマン(1891-1967)というウクライナ出身の19世紀のヴァイオリニストが好んで使っていました。以下の「タイスの瞑想曲」は、工藤新一が弾いている「アメイジング・グレイス」に音の雰囲気が似ていませんか?



ヴァイオリンは弾く人によって雰囲気が異なる楽器で、どうやら工藤新一の先生はかなり昔のスタイルでの演奏法を伝授してしまったようです。それともホームズを理想とする彼が、つい100年前の奏法を志向してしまったのかも? ちなみにエルマンの音は「エルマン・トーン」というあだ名がつくほどで、独特の味わいがあるということで世界的に評判でした。思うに、毛利蘭の言う「弾き癖」というのは、そういう工藤新一独特のトーンをも指しているのではないでしょうか。