リヒャルト・シュトラウスは『死と変容』『家庭交響曲』『アルプス交響曲』『ツァラトゥストラかく語りき』など沢山の交響詩を残しています。最も有名なのが『英雄の生涯』ですが、「英雄」とは自分のこと。自分がまず登場し、アホな評論家が現れ、自分のことを分かってくれる妻が現れ、戦が始まり、戦場では敵を蹴散らし、過去の自分の作品が回想され、田園で静かに引退する英雄・・・。

『トップガン』を一言で要約すると「トム・クルーズがソ連機を撃墜して金髪の女と一緒になりました」。『英雄の生涯』もなんだかあまり変わらない気がします。男が考えるのはいつも大体同じパターンだということでしょうか。

ヴォルフガング・サヴァリッシュはこの曲を得意としており、NHK交響楽団との数々の共演のなかでも特に名高いものと知られています。英雄の役を務めるのは低弦とホルン。英雄の妻はコンサートマスターが演奏するヴァイオリンによって表現されます。しかしNHKホールとかサントリーホールのような大きな会場でヴァイオリン一台で場をもたせるというのはちょっと心もとないですね。コンサートマスターだった篠崎史紀さんははっきりめに音を出していたところ、

マエストロ(サヴァリッシュ)の左手の指示はなんと「音を小さくしろ」とのジェスチャーでした。そこで、音を小さくして再度マエストロを見ると・・・「もっともっと」の指示が。さらに小さくすると、「まだまだ」の指示! 「こんなに小さくしたら客席に聴こえなくなるかもしれない」・・・と思いながらも、ほとんど聴こえないくらいから弾き始めると、マエストロはニコッと笑ってOKのサインをくれました! いまだかつてない緊張感のある出だしで、このソロを弾くことになりました。

(篠崎史紀氏著『MAROの”偏愛”名曲案内 ~フォースと共に』より)
本番の会場はNHKホールだったのでしょうか。もしそうだとすると3Fの客席に音が届いたかどうかちょっと不安になります。しかしサヴァリッシュはその後もやたらと細かい指示を出すのでそれに従わざるを得ません。他の指揮者ならかなり自由に演奏させてくれるのですが、彼は違いました。その理由を休憩時間中に問いただすと、「これはあくまでもオーケストラの中で奏でる一つの情景だから、ソロと思って自由に弾かないようにしてほしい」とのこと。

最後のホルンとのデュエットについて質問すると、「男性と女性が長年連れ添って、お互いのすべてがわかった状態でないとあの会話はできない。すべてが走馬灯のように戻って来る瞬間なのだよ」。

実は指揮者によってヴァイオリンソロの雰囲気はかなり変わるもので、サヴァリッシュの考える英雄の伴侶像はどうやら貞淑とか、そんな言葉が当てはまります。人によってはサバサバしていたり、可愛げがあったりとまちまちです。

しかし「男性と女性が長年連れ添って、お互いのすべてがわかった状態でないとあの会話はできない。すべてが走馬灯のように戻って来る」ものだとすると、結局『トップガン』と同じで「批評家を蹴散らして最後は妻と一緒になりました」。なんだ、男の考えることは結局同じじゃないか!


参考文献: