「強制収容所」というと、どうしてもナチスが行ったユダヤ人虐殺を思い出してしまいます。それほどこの言葉はホロコーストと強く結びついています。

しかし日本にもこれに近い施設がありました。もちろんガス室に人を送り込んで大量殺戮を反復的・継続的に行っていたわけではありません。この施設は「療養所」という名称で呼ばれていましたが、実態としては隔離であり、隔離が行われれ、当事者が見えなくなればなるほど無関心となり、そのようなことが行われていたということが放置されるようになったのでした。これに、多くの日本人が良かれと思って加担していました。大変恐ろしい話です。

これは、ハンセン病についての話です。2001年、熊本地方裁判所において、ハンセン病元患者らが国を被告として提起していた「らい予防法」違憲国家賠償請求訴訟について、国の責任を認める判決が言い渡されました。総理大臣になったばかりの小泉純一郎氏は謝罪するとともに控訴を行わないことを決定し、同判決が確定しました。

それにしても他の国々がそうした隔離政策をやめてゆく流れに逆行し、なぜ日本だけがこの政策を90年も続けたのか・・・。この背景には、「らい病(ハンセン病)」についての深刻な差別がありました。戦前の日本では「無らい県運動」というものがあり、患者を見つけ出して療養所へ送り込もうという官民一体となっての動きです。上述の熊本地裁判決は、次のように「無らい県運動」を説明しています。

無らい県運動の徹底的な実施は、多くの国民に対し、ハンセン病が恐ろしい伝染病でありハンセン病患者が地域社会に脅威をもたらす危険な存在であるとの認識を強く根付かせた。

(中略)

無らい県運動により、山間へき地の患者までもしらみつぶしに探索しての強制収容が繰り返され、また、これに伴い、患者の自宅等が予防着を着用した保健所職員により徹底的に消毒されるなどしたことが、ハンセン病が強烈な伝染力を持つ恐ろしい病気であるとの恐怖心をあおり、ハンセン病患者が地域社会に脅威をもたらす危険な存在でありことごとく隔離しなければならないという新たな偏見を多くの国民に植え付け、これがハンセン病患者及びその家族に対する差別を助長した。
おっと、判決でも「強制収容」という言葉が用いられています。当時「らい病」と呼ばれていたハンセン病は、末梢神経が侵される感染症であることはすでに分かっていましたが、なぜか「遺伝する」との誤解も多く(「放射能がうつる」とかいう福島県民へのいわれのない差別を想起させます)、また天罰を意味する「天刑病」と言う人までいました。

日本国憲法は1947年5月3日から施行されています。ところがこれ以後も、こうした隔離は「公共の福祉」の名目で続けられ、2001年の熊本地裁判決につながってゆくことになります。

療養所では、患者どうしが結婚することもありましたが、本人には選択肢を与えず断種手術が施されていました。これは、遺伝病ではなく感染症だと分かっていたものの、生まれた子どもへの感染防止を理由とするものでした。また、療養所内には懲罰を目的とした監房も設置されていました(たとえば邑久光明園)。

学べば学ぶほど、日本人全体の失敗であり、日本全国で地域住民が差別に加担していたという意味で加害者は我々一人ひとりであり、これを風化させることはあってはならないと痛感しました。


参考文献