「G線上のアリア」といえばバッハの名曲をウィルヘルミが編曲して有名になったアレです。デパートだろうが空港だろうが病院だろうが市役所だろうが電話の保留音だろうがCMだろうが地球上のどこかで必ず流れていると言っても間違いないでしょう。この曲は題名のとおりヴァイオリンのG線のみで演奏するということになっています。たまにそうじゃない編曲もありますが、そういうときは「G線上のアリア」ではなく単に「アリア」というタイトルでプログラムに掲載されています。
G線だけで演奏するので、ポジションが高いところに行ったり低いところに行ったりと音程を確保することがとても大事になります。でもゆったりした曲なので、素人でもなんとか対応できなくはありません。音の深みとか音色の使い分けとかになると当然プロには敵いませんが。
ところで世の中にはG線だけでもっととんでもないことをやらかしてしまう奴がいます。例えばパガニーニ。彼の残した「モーゼ幻想曲」もやはりG線のみで演奏しなければなりません。
「G線上のアリア」よりも遥かに芸が細かく、こんなのを演奏しろと言っても嫌気がさすでしょう。
もともとはロッシーニの「モーゼ」というオペラの主題を元に作曲されています。楽譜を読んでみると、左手のピチカートやハーモニクス、急速なスピッカート、スラーなど、ヴァイオリンの高度なテクニックが求められます。控えめに言っても嫌味なほどに。そして、これが音楽である以上、テクニックというのはあくまでも手段であって目的ではありません。何らかのメッセージを伝えるための手段、それがテクニックです。
この曲がいまいち普及しないのは、そういうところなのかもしれません。技術的に言えばバッハの「G線上のアリア」のほうがよほど簡素にかかれています。でもどっちが人気だ? となると考えるまでもないでしょう。「モーゼ幻想曲」は、メロディは綺麗。難技巧が散りばめられていて、ショウピースとしてはもってこい。何かのコンクールで優勝したあとのお披露目コンサートでこれをプログラムに採用するのも悪くはないでしょう。
でも、難しい技術を披露したからといって、それが何なのでしょうか。その技術をもって、一体何を表現したいのでしょうか。正直、ロッシーニとかいうお金目当てでヒット曲をコピペのごとく量産した人のメロディをヴァイオリンで難しく再現してみました(劣化コピーなのか上位互換なのかわからん)、ただそれだけじゃないのか? ・・・そう考えると、「大山鳴動して鼠一匹」の感深し。
パガニーニは「ヴァイオリンの悪魔」と称されるほどの技術を持ち、その名声は今でも色褪せることがありません。この作品を通じて、一応パガニーニの技術と音楽性に触れることができます。でも、パガニーニの作品で21世紀でも真剣に聴かれているのは「カプリース」と「ヴァイオリン協奏曲第1番、第2番」くらいです。ヴァイオリンという楽器の特性上、どうしてもハーモニーが苦手で美しいメロディとか難技巧の披露に傾きがちになってしまいます(ピアノだとふか~く考え込むような曲が山のようにあります)が、パガニーニといい、彼の作品の普及度といい、このあたりがヴァイオリンの一つの限界なのかもしれません。そう考えると、バッハ、イザイ、バルトークの無伴奏曲は歴史上の奇跡だったと言っても過言ではないでしょう。
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