曲がりなりにも何年もヴァイオリンの練習を続けていると、さすがに適性が欠けていてもそれなりに上達してきて、ある時先生から「この曲どうだね、次の発表会で」と言われたりします。なんだろうと思って見てみると、驚きのパガニーニ!
パガニーニというとどうしてもヴァイオリン協奏曲とか「カプリース」など難技巧が散りばめられた悪魔のような曲を連想してしまいますが、そこはそれイタリア人ですから楽天的で明るい曲もあります。私が演奏することになった「カンタービレ」もその一つ。
かつて私が訪れたローマやフィレンツェの空を想像させるような柔和な音が連なっています。ああ、夏のローマでジェラート食べようかな・・・。そんな気分にさせられます。
ところでパガニーニは自分のテクニックや楽譜が流出し、他人に真似されてしまうことを警戒していたため自作を出版せず自分で楽譜の管理をしていたようです。ウィキペディアによると、
その徹底ぶりは凄まじいもので、自らの演奏会の伴奏を担当するオーケストラにすらパート譜を配るのは演奏会の数日前(時には数時間前)で、演奏会までの数日間練習させて本番で伴奏を弾かせた後、配ったパート譜はすべて回収したというほどである。しかも、オーケストラの練習ではパガニーニ自身はソロを弾かなかったため、楽団員ですら本番に初めてパガニーニ本人の弾くソロ・パートを聞くことができたという。その背景として、パガニーニ自身が無類の“ケチ”だったと言う事の他に、この時代は、著作権などがまだ十分に確立しておらず、出版している作品ですら当たり前のように盗作が横行していた為、執拗に作品管理に執着するようになったとする説もある。
彼の「ヴァイオリン協奏曲」ではオーケストラパートがズンチャッチャとかブンチャッチャみたいなしょうもない音しか出さないのは、楽譜がほとんど初見であっても一応弾ける程度の難易度に抑えていたのでしょうし、結局それもソリストつまりパガニーニを目立たせるための「道具」にすぎません。
ウィキペディアでは、さらに
このようにパガニーニ自身が楽譜を一切外に公開しなかったことに加えて、死の直前に楽譜をほとんど焼却処分してしまった上、彼の死後に残っていた楽譜も遺族がほぼ売却したため楽譜が散逸してしまい、大部分の作品は廃絶してしまった。現在では、無伴奏のための『24の奇想曲』や6曲のヴァイオリン協奏曲(元々は全部で12曲あったといわれ、第3番から第6番が見つかったのは20世紀に入ってからである)などが残されている。現存している譜面は、彼の演奏を聴いた作曲家らが譜面に書き起こしたものがほとんどだと言われている。
と記されています。
そうなんだ、記録がほとんど残っていないなんて、零戦の設計図と同じだな・・・。きっと現存する作品もヴァイオリン協奏曲とカプリースくらいで、あとは落穂拾いみたいなもんなんだろ、どうせ。
違いました。イタリアのDYNAMICという会社が設立40周年を記念して、なんと40枚組のパガニーニ全集をリリースしていました。
例えば無伴奏曲でも、「カプリース」以外にもこんなに沢山ありました。
[CD28]無伴奏ヴァイオリンのための作品集
1-10.無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ M.S.83
11.別れの奇想曲 M.S.68
12-19.「うつろな心」による無伴奏ヴァイオリンのための奇想曲 M.S.44
20-24.無伴奏ヴァイオリンのための「ゴッド・セイヴ・ザ・キング」Op.9 M.S.56
25-31.愛国的讃歌 M.S.81
32-33.無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ M.S.6
34-41.独奏ヴァイオリンのための主題と変奏 M.S.82
ヴァイオリン曲だけでなく、ギター曲とか、ヴァイオリンとギターのための曲とか、なんじゃこりゃと思うような謎曲ばかりで、クラシックの演奏会に頻繁に通う人であっても実際に聴いたことがある作品はほぼゼロでしょう。せいぜい「うつろな心」による無伴奏ヴァイオリンのための奇想曲くらいでしょうか。何しろ無伴奏曲といえばパガニーニの「カプリース」を除くとあとはバッハとイザイ、せいぜいバルトークで、普通のヴァイオリニストなら(いやプロになれるだけで相当なものですが)これらをレパートリーに組み込むだけで何年も経過してしまいます。それを思うと、こんな曲を右から左へと量産していったパガニーニの才能が空前にしておそらく絶後だったのだと察せられますし、弟子を一人しか残さなかった(つまりその系譜は事実上途絶した)ことがかえすがえすも悔やまれます。まあ、技術流出を恐れていたのですから、それも残念ながら当然の帰結だったのかもしれませんが・・・。
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