ヴァイオリンの演奏会というのはアマチュアにとってほとんど唯一の自分の音楽を人に聴いて評価してもらう機会だといってよいでしょう。まあそれ以外にもアマチュアオーケストラなどもありますが私みたいに人間関係を作りたくない、人間関係がノイズだと感じる人にとっては無縁の世界でしょう。
というわけで演奏会に向けて選曲からまずスタートするわけですが、他の人と曲目が重複してしまい、Aさんが「愛の挨拶」でBさんが「愛の挨拶」でCさんが「シチリアーノ」で自分が「愛の挨拶」だったりすると目も当てられません。新幹線で隣に座った人が自分と同じユニクロを着ていたときのような気まずさがどことなく漂ってしまいます。
そういうことのないように、ちょっとひねった曲を採用したりすることもあります。で、「うーんこんなよくわからん曲を見つけてきたワイってハイセンス」とか思ったりするわけです。でもこれもあまり意味がなくて、それよりも結局のところある程度知名度のある曲を演奏したほうがお客さんにしてみればまだマシかもしれません。
ヴァイオリンの演奏会であまり知られていない曲を演奏するのはあまり意味がない?
演奏会でその曲を採用するということは、おそらくそれなりに愛着があるからなのでしょう。嫌いな曲をわざわざ取り上げるということはアマチュアの場合ありませんから(プロなら主催者に「これをやってください」と言われたらNOと言えないでしょう。よほどの大物なら別ですが)。
しかし、演奏する本人にとって思い入れがあることと、お客さんがその思い入れに一緒に乗れるかどうかには大変なギャップがあります。そういうギャップを乗り越えて、空気をあたためて会場をひとつにできる人と、そうでない人とでは差があるのだと思います。そしてそういう能力を持っている人はいわゆる「カリスマ」がある人であり、かつてシャルル・ミュンシュが「指揮者のなり方は教えられないんだ」と小澤征爾さんに諭したように、指揮者なり演奏家なりにとって向き不向きを分ける肝心要の能力は生まれつきのものですから後天的に身につけることはできないのでしょう。
で、大抵の人はそういう能力なんて持っているはずもありません。となると、自分がそのハイセンスとやらを活かして見つけてきた名曲も会場に来たお客さんにしてみれば初めて耳にする「なんじゃこれは」と思う謎曲であり、そんなものを聴かされるくらいなら無難に「G線上のアリア」でも弾いてくれと思うでしょう。
また、アマチュアにとっては演奏会というのは自分がこれまで身につけてきた技法を舞台上で実際に披露し、そのフィードバックを教師から受けるための場でもあります。となるとなおさら珍妙な曲を採用するよりも、先生もよく知っている曲を演奏する方が、評価する側にとってもまだ取り組みやすいと言えるでしょう。
となると何のことはない、「バイオリン名曲31選」をとりあえず1冊買っておけばそれでネタは10年は持つということでしょう。我ながらなんとも安直な・・・。
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