タイトルのとおり、すべての問題に対して、完全に中立な人というのは存在しえないでしょう。人は誰しも自分が可愛いのであり、自己愛というものを持っていますから、自分が信じたいことをつい信じてしまいがちです。だから人によってはマルチ商法にはまったり、新興宗教にはまったりするわけですね。
信じたいものをつい信じてしまう理由は、そもそも脳というのは燃費がきわめて悪い臓器であって、人間が身体全体で消費する酸素量の1/4を使っており、そのため人間は本能的に脳の活動量を抑えて負荷を軽減しようとするようです。したがって、「疑う」「慣れた考え方を捨てる」という場面では脳への負荷が高くなってしまうため、面倒くさいという感情が湧いてくることになります。
その意味では、「あいつは黒人だから犯人に決まっている」「ユダヤ人だからケチなんだろう」といったような偏見も、調べもしないでそうと決めつけてしまっているわけですから、脳をエコドライブモードにしておきたいという人間の本能だと考えられます。(以上、中野信子さん『脳の闇』より)
本来なら中立的にものを見ることができればよいのですが、そもそもそうすることについて、脳に対するインセンティブがまったく存在しないため、結局自分が信じたいことを信じてしまうようになってしまうようです。
私は過去記事
において、NHKの「その時歴史が動いた」のソ連対日参戦のお話を取り上げたことがあります。
これは第二次世界大戦末期、陸軍参謀本部の河辺虎四郎中将が、ソ連が条約を破棄して満州へなだれ込むなどということはありえないだろうと予想しており、これが完全に外れたというものでした。
番組内では、当時の陸軍参謀の心理を作家の半藤一利さんが解説していました。
「満州防衛は手薄だ。だからソ連が攻めてくると困る」
最初はそういう心理でした。そのあと、
「攻めてこないでほしい」
という心理になり、やがては
「攻めてこないだろう」
と、自分にとって都合の悪いことは起こってほしくないから、起こらないだろうという思いに変わっていったようなのです。
陸軍参謀本部といえば日本の戦略を決定する機関ですが、そのスタッフが自分が信じたいことを本当に信じ込んでしまい、結果的にシベリア抑留につながる悲劇を生み出してしまいます。しかし人間の脳の問題点を知ってしまうと、「自分にとって都合の悪いことは起こってほしくないから、起こらないだろう」という考え方というのは脳がエコドライブモードになっていたことを示唆するものであり、そういう判断はきわめて人間的なものとも言えます。それでは困るのですが。
しかし、河辺虎四郎中将がそのような判断をしたとしても、他のスタッフが異論を示していればもっとロジカルに戦略を検討することができたはずです。実際にはそうはならなかったということは、陸軍参謀本部に、というか当時の日本社会に、クリティカル・シンキングができる人材が決定的に不足していたことがうかがわれます。
それにしても脳というのはすぐにサボりたがる臓器だなんて意外でした。だから人間は不完全な生き物なんでしょうね。
コメント