このブログで繰り返し語ってきたとおり、ヴァイオリンという楽器の演奏には理不尽が伴います。
いや、演奏以前の問題として、早期教育が重要。でも親が「この子にヴァイオリンを習わせよう」という気づきがなければ教育の機会がないまま幼少期を通り過ぎてしまいます。親ガチャですね。これで才能があったのに埋もれてしまった人だっているでしょうし、親の余計な気づきのせいで適正が欠けているのに嫌いな習い事をやらされて音楽が嫌いになった人もいるでしょう。
価格も理不尽。ストラディヴァリウスやグァルネリは数億円で取引されているので個人での所有はほぼ不可能。2002年に千住真理子さんが苦心の末にストラディヴァリウス「デュランティ」を購入していましたが、これが個人でストラディヴァリウスを買い求めることができた最後の時代だったと思います。
音を出すまでも理不尽。ピアノは鍵盤を叩けば音が出ます。なんと優しい作りをしているんでしょう。こんな楽な話はありません。ヴァイオリンは初心者が弾くと音が出ません。多少上達するとギコギコと不愉快な音が出てきます。
こういう理不尽を乗り越えて、ごくひと握りの人材がプロのヴァイオリニストとなります。
ところが、楽器によっては「音が出ない」という問題に直面することもあるようです。
楽器に選ばれないと音が出ないとかいう理不尽
ピアニストはホールに設置されているピアノを使うので、ベヒシュタインを弾きたいと思っていてもそこにヤマハしかなければ選択の余地はありません。
ヴァイオリニストの場合は自分の楽器を持っており(または財団などから貸与されており)、自分が求める音楽に応じてストラディヴァリウスからグァルネリに変更したり、またその逆を行ったりすることがあります。
ところが、楽器を変えると自分が望む音が出てこないという理不尽に直面します。
宮本笑里さんはドメニコ・モンタニアーナ(1720年代、ヴェネツィア製)というヴァイオリンを使っているようですが、本間ひろむ氏の取材では「イタリア製なんですけど、最初の数ヶ月は全然音が出てくれなかったです」と述べていたとか。
諏訪内晶子さんは日本音楽財団からストラディヴァリウス「ドルフィン」を貸与されており、2020年からはグァルネリ「チャールズ・リード」を貸与されています。学生時代にグァダニーニを手にし、チャイコフスキー・コンクール前にストラディヴァリウスを入手し、それが「ドルフィン」になり、「チャールズ・リード」になったようですが、「ドルフィン」から「チャールズ・リード」に替えたあとで「前の楽器はキラキラと張り詰めていて、少し神経質な音だった。今は芳醇な人間らしい音。現在の楽器の方が自分に近い」と述べておられます。ストラディヴァリウスを「少し神経質な」と言えるなんてなんという贅沢な・・・。
諏訪根自子さんはドイツ滞在中にゲッベルスから日独親善の証としてストラディヴァリウスを贈呈されています。しかし彼女の没後、どうやらそれは贋物だったという説が浮上しました。妹で国立音楽大学名誉教授の諏訪晶子さんは「私には弾きにくい楽器です。でも姉は、私だから弾きこなせるのよ、と言って、終生、強い愛着を抱いていました」と語っています。
こうしたエピソードを見ていくと、要するに楽器の持ち味を引き出せる場合とそれが不可能な場合があるらしく、どうやら相性は事前には分からないようです。ということは「これすごいや」と思っていても実は他の楽器の方が相性が良いかもしれず、とはいえ高額なものだけに携帯電話のように簡単に替えることができないので選択は一か八かになる恐れが十分あるということです。
それはつまり人が楽器を選ぶのではなく楽器が人を選ぶということなのでしょう。なんという理不尽!
注:本記事は本間ひろむ氏『日本のヴァイオリニスト 弦楽器奏者の現在・過去・未来』を参考にしました。
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