私は過去の記事
に記したとおり、ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ『春』を練習しています。ただでさえヴァイオリンという楽器は理不尽なまでに難しいのに、さらに輪をかけてややこしいのが楽曲の難易度の高さです。最初の有名なメロディ、このあたりはまだ取り組み易い。しかしソナタの提示部を終えて展開部に進むと様相は一変します。展開部というだけのことはあって何やら葛藤めいた音の配列になります。こりゃ辛いわ。
楽譜を見ているとそんなに難しいように思えなくても、いざ自分が演奏するとなると話は別です。一見楽に見えても、音程が外れやすくなるような指使いにならざるを得なかったり、いまいち響かなくて地味な音になってしまったり(そういう音をベートーヴェンが欲していたのかも)、辛い辛い。
こういう楽譜でもいわゆる天才少年ならスラリと弾いてしまうんだろうなと思っていましたが、どうやらそうではなく、先生曰く精神性が求められるのだとか。
精神性とはなにか、ということになりますが、楽譜を読んでいるとただ演奏すればいいという書かれ方になっていない、これがポイントのようです。
たとえば過去に挙げた楽譜の、赤線部分での微妙な隙間について。

微妙に隙間を入れるといっても、どれくらい隙間が空けばいいのか。1秒? 0.1秒? もっと長く? それとも短く? 唯一絶対の正解はありません。
またrinf.つまりリンフォルツァンド(その音を強く。その部分をより強調して)も判断に迷います。どれくらい強くすればいいのか。どれくらい強くすればお客さんに強調していることが伝わるのか。これも唯一絶対の正解はありません。前後の音との関係性を考慮しつつ自分で決めるしかありません。
スフォルツァンドからピアノへただちに移行しなければならないような場面もあります。他にも、クレッシェンドしてピアノ、またただちにクレッシェンドしてピアノ。そんな時、弓の圧力はどうコントロールすればいいのか。弓の速度はどれくらいがちょうどいいのか。これも自分で決めるしかありません。
こういう問題に対して、一応古典派音楽ですから「こういうふうに弾けばベートーヴェンらしくなる」という決まり事はあるものの、100%それに従っていると「先生に言われたとおりに演奏しましたあ」という風情がありありと出てしまいます。逆らっていると「こいつは何もわかっとらん」となります。なんだか出口がない・・・。
だからこそヴァイオリニストは『春』を演奏するために地道に楽譜を検討して「ここはこういうふうに弾こう」というアイデアを複数パターン考慮し、その時にベストと思われるものをその時の本番で採用し、別の日には他のやり方を用いたりするのでしょう。アマチュアは1種類準備するだけでも地獄なんですけどね。
このようにベートーヴェンの『春』は(他の作品もそうなのだろうが)、「悩みながら壁にぶつかりなさい」式の問題が多く、考える力が十分に備わった大人でなければ鑑賞力があるお客さんを納得させるだけの演奏にならないようです。ただ単に技術がハイレベルなだけの子供にはムリだと、自分が練習してみてつくづく思い知りました。
コメント