ヘルベルト・フォン・カラヤンは20世紀で最も有名な指揮者だと言って間違いないでしょう。力量という点ではヴィルヘルム・フルトヴェングラーに譲るかもしれませんが、録音に熱心でレコードを通じて自分の演奏を世界中に広めることに成功しました。先進国では「中流」というものが形成され、たとえば日本では知識とか教養とかいうものへの憧れ(というか、上昇志向?)から子供にピアノを習わせてみたり、読むかどうかはっきりしない世界文学全集を買ってきたり、これまたどうせ使いもしないのに百科事典を揃えたりという謎行動が全国的に発生しました。
この流れの中にあって、クラシックのレコードを揃えるというのもまた一つのステータスであり、カラヤンの姿こそはこのステータスの頂点に君臨するものでした。そして、カラヤンの死とともにクラシックという音楽分野の凋落が始まり、業界の「話題」「顔」が消滅してしまいました。
彼の演奏の特徴はレガートを多用した流線型のスポーツカーを思わせるようなスマートさにあります。ベートーヴェンの交響曲で言うなら、フィルハーモニア管弦楽団を指揮したモノラルの全集、60年代のベルリン・フィルとの全集はまだしも、70年代に入ってからは私たちが想像する「カラヤン」の音づくりになっていきます。その特徴はモーツァルトなら優麗、ベートーヴェンは雄麗、ブラームスなら憂麗とでも言いましょうか。とにかくユーレイと言えば大体の特徴を捉えています。
沢山のレコーディングを残した彼ですが、彼の本領は実演にあったと言われています。カラヤンのパターンとして、まずレコードをリリースする、その後で実際にその曲をコンサートで披露するというものがありました。これがミソでした。つまりリハーサルの代わりに録音現場を利用することにしました。録音はレコードとして発売され繰り返し再生されるので瑕のない精緻な仕上がりを要求されます。このため難しい箇所も何度も何度も取り直しになります。その費用は当然ながらレコード会社負担となります。これは賢い。
こうして録音と称するリハーサルを経て、実演の前にまたリハーサルを行って本番を迎えるわけですから準備万端となります。カラヤンはそうやってコンサートの完成度を高めていきました。彼の死後ときおりリリースされるライブ録音に世評が高いものが多いのはこれが理由です。
そのカラヤンの唯一の録音となったのがシェーンベルクの「浄夜」でした。チャイコフスキーとかブラームスは何度も録音していますが、この曲の録音はたった一度だけ。しかし二度録音しなくても十分すぎるクオリティが確保されています。ブラームスの影響を受けながら書かれたこの曲は、後に十二音技法を開発することになるとは思えないほど(いや、それを予感させるだけの響きが随所にあるのですが)後期ロマン派のサウンド。それをカラヤンが指揮するとどうなるか。ベルリン・フィルの弦楽器セクションがむせぶように音を立てて、不健康と表裏一体とも言える流麗なサウンドが30分にわたって続きます。
とくにベートーヴェンやブラームスのようなドイツ音楽では、過度のレガートは時折逆効果のきらいがあり、それがカラヤンを非難する理由ともなりましたが、「浄夜」ではこれがピタリとはまっており、録音から50年以上経過した今となっても色褪せません。・・・って50年経過しても古びないって相当なクオリティです。中古CD店では数百円程度で買えるはずなので、見かけたらとりあえず買っておくのが吉でしょう。
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