『きけ わだつみのこえ』。このあまりにも有名な書物は戦後数十年にわたって読みつがれてきました。日中戦争、太平洋戦争に従軍し、故郷へ生きて還ることがなかった兵士たちの手紙や日記などを収録しています。先の戦争を振り返る番組が毎年夏になるときまって放送されますが、その番組のなかでもたびたび言及されることが多く、戦没者たちの言葉がいつまでも記憶に留められ、平和の尊さを今に伝えています。
これを読んでいると、軍隊という日常からかけ離れた世界へ突如として徴兵されて身を置くことになった学生たちの心の動揺と、それでもなお平常心を保とうとする葛藤が伝わってきます。そして思い出すのが私の枕頭の書であるマルクス・アウレリウスの『自省録』です。『自省録』は古代ローマ皇帝であった彼自身が異民族との戦争で陣頭指揮を取りながらも陣中においてわずかな時間を見つけて自らを鼓舞するために、またはつとめて理性を失うまいとして書き連ねた言葉が残されています。政治や戦争とはほぼ無縁な内容であるためか、ローマ帝国が滅亡したあとも失われることなく、数百年の時を経て「発見」されています。
『きけ わだつみのこえ』には、たとえば次のような日記の抜粋が掲載されています。これなど、まさにマルクス・アウレリウスの言葉のようではありませんか。
三月五日・・・・・・人々の邪悪さと運命の酷薄さとの間にありながら、善良であり、いつまでも善良であらねばならぬ。多くの苦しい諍いのうちにも温和と親切とを失わず、その内心の宝に触れさせずに経験を通り越すのだ。最も激しい争闘中にも温和であり、悪人の間にあっても善良であり、戦いの最中にあっても平静でありたいものである。誰にも気付かれずに埋もれている、かくも大なる生の力! それに引換え地上を塞ぎ、他人の地位と幸福とを奪い、日の光に当っている、あれら死人同様の悪人共! ・・・・・・真理への思慕を喪って国家の隆昌はない。(『きけ わだつみのこえ』村中徳郎さんの日記より。大正7年山梨県出身。昭和17年10月東京帝国大学理学部地理学科入学。翌月入営。昭和19年フィリピン方面に向かい行方不明。)
『きけ わだつみのこえ』に掲載されている文章は、先述のごとく日記であり、手紙であり、詩であり、また遺書であり、これが出版されて広く読まれることを想定して書かれたものではありませんでした。が、読んでみると戦争とはそう遠い過去のことではないこと、過去と現在は地続きであることに気付かされ、また、私たちも同じ状況に置かれたらやはり似たようなことを考え、書き残していたであろうと想像されます。
日常が突如として召集令状によって断ち切られ、軍隊生活に強い違和感を抱えながらも彼らは様々な言葉を書くことでそのときの葛藤を克服しようとしていたことが読めば読むほど伝わってきます。それにしても、この本に残された日本語の美しいこと、また水準の高い文章を書いていることには驚かされます。そしてその知的な言葉を駆使する彼ら若き前途有為な人材を戦場に散らしてしまったことが悔やまれます。改めて、日本は今後いかなる戦争にも参加してはならないことを痛感しました。
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