私はAmazon Primeでやっとこさ『推しの子』第一話を観ることができました。本当はもっと早く観るつもりでした。去年の6月にNZに行った時に「これなら時間があるわフフ」と思っていましたが、意表を突いて海外では日本の作品を再生できないことに気付きました。そんなの海外に行ってみて初めてわかることです。本当に意表を突かれました。
というわけで2024年4月になってようやく『推しの子』を鑑賞しました。思い立って東京からあずさに飛び乗った土曜の朝。諏訪湖に辿り着いた私は夕方に湖一周16kmのランニングを終えて、夜に第一話を観たのでした。
面白いことに、この作品のアイドル「アイ」は平気で嘘をつきます。べつにオオカミが来たとか衆議院を解散するつもりはないとか満員電車をゼロにするとか消費税廃止とか米軍圧勝UFO無条件降伏とかマドンナ痔だったなどと言っているわけではありません。
ファンのことを「愛してる」とか、本当は必ずしもそうでもないのにそれっぽいことを本当らしく言うのです。だからファンも猛烈に彼女のことを推すのでした。「この芸能界(せかい)において嘘は武器だ」。ごもっとも。でもまさか第一話の終わりであんな事件が起こるなんて・・・。
この言葉をアイドル界隈に寄せて言うならば、売れるアイドルというのは「多くの人は自分が見たいと思う現実しか見ない」のだから、お客さんには「見たいと思っている私の姿」を見せているのでしょう。アイドル自身は、「見せているのはあくまでもアイドルつまり商品としての私。ほんとうの私とは違う」と内心思っているはず。でも舞台に立つとき、見せるべきはほんとうの自分ではなくアイドルとしての姿。AKBの柏木由紀さんはこのあたりが本当にうまくて、よい意味でも悪い意味でもプロっぽさが溢れ出ていました。
お客さんももちろんそのことを分かったうえで、でもいちいちそんなことを口に出して言う必要もなく、アイドルを応援するのでしょう。この塩梅をわきまえたうえで応援するのが大人であって、一言一句真に受けて一喜一憂するのはまだまだ若いでしょう。
このあたりの感覚は、プロレスなんかを見ているとわかりやすいでしょうか。「あ、なんか今こいつわざと倒れたでしょ?」とかツッコミは無用ですし、「どうせ筋書が決まってるんでしょ?」なんて言うのも野暮。「お前、ぶっ殺すぞ!!」なんてセリフが出た日には、「おお! なんか始まったぞ!! もっとやれ!!!」と乗っかっていくのが普通の楽しみ方であって、「殺すなんて、物騒な!」などと教師みたいなことを言ってはいけません。
これと同様に東スポとかムーもバカ記事が掲載されたら「ふん下らん」などと言うのではなく、「邪馬台国は台湾だったのか。すごい発見だな」と楽しんであげるくらいでちょうどいいでしょうし、逆に「そういうもの」を「そういうもの」として処理できないとただの真面目な奴、文字を文字通り読んでしまう奴になってしまうのでしょう。
・・・などと書く私はひねくれているでしょうか。あらゆる言葉、文字情報は「少しは疑えよ!」というスタンスでいる私は、2020年春(もう4年前か)、「何の対策もしなければ(新型コロナウイルス感染症で)42万人死亡」などと新聞に書いてあるのを読んで「あれだけ激しい戦闘が続いた沖縄戦の死者ですら20万人なんだけどな」とまともに取り合いませんでした。その後の社会の雰囲気に「こりゃアホだ。後で誰も反省しないやつだ」とあきれ返り、
新型コロナウイルスと集団ヒステリー。後から事件を振り返ってみるとどうなるのだろう?
という記事を公表するに至りました。私自身ももともとAKBを応援していた成り行きから「人の言う言葉ってあくまでも言葉であって確かな事実じゃないよね」と分かりきっていたのでこのようなことを書きました(この記事は今でも我ながらいい点を突いていると思います)。
それにしても、私が今死んだら渡辺麻友さんの子どもになれるのでしょうか。『推しの子』で一番気になったのはそこでした。
というわけで2024年4月になってようやく『推しの子』を鑑賞しました。思い立って東京からあずさに飛び乗った土曜の朝。諏訪湖に辿り着いた私は夕方に湖一周16kmのランニングを終えて、夜に第一話を観たのでした。
面白いことに、この作品のアイドル「アイ」は平気で嘘をつきます。べつにオオカミが来たとか衆議院を解散するつもりはないとか満員電車をゼロにするとか消費税廃止とか米軍圧勝UFO無条件降伏とかマドンナ痔だったなどと言っているわけではありません。
ファンのことを「愛してる」とか、本当は必ずしもそうでもないのにそれっぽいことを本当らしく言うのです。だからファンも猛烈に彼女のことを推すのでした。「この芸能界(せかい)において嘘は武器だ」。ごもっとも。でもまさか第一話の終わりであんな事件が起こるなんて・・・。
ジュリアス・シーザーの言葉を思い出す
「多くの人は自分が見たいと思う現実しか見ない」。ジュリアス・シーザーの言葉です。原発が安全だと思っている人はそういう情報しか集めませんし、危険だと思っている人はそういう情報ばかり集めます。SNSのフィルターバブルもそうやって形成されていくのでしょう。この言葉をアイドル界隈に寄せて言うならば、売れるアイドルというのは「多くの人は自分が見たいと思う現実しか見ない」のだから、お客さんには「見たいと思っている私の姿」を見せているのでしょう。アイドル自身は、「見せているのはあくまでもアイドルつまり商品としての私。ほんとうの私とは違う」と内心思っているはず。でも舞台に立つとき、見せるべきはほんとうの自分ではなくアイドルとしての姿。AKBの柏木由紀さんはこのあたりが本当にうまくて、よい意味でも悪い意味でもプロっぽさが溢れ出ていました。
お客さんももちろんそのことを分かったうえで、でもいちいちそんなことを口に出して言う必要もなく、アイドルを応援するのでしょう。この塩梅をわきまえたうえで応援するのが大人であって、一言一句真に受けて一喜一憂するのはまだまだ若いでしょう。
このあたりの感覚は、プロレスなんかを見ているとわかりやすいでしょうか。「あ、なんか今こいつわざと倒れたでしょ?」とかツッコミは無用ですし、「どうせ筋書が決まってるんでしょ?」なんて言うのも野暮。「お前、ぶっ殺すぞ!!」なんてセリフが出た日には、「おお! なんか始まったぞ!! もっとやれ!!!」と乗っかっていくのが普通の楽しみ方であって、「殺すなんて、物騒な!」などと教師みたいなことを言ってはいけません。
これと同様に東スポとかムーもバカ記事が掲載されたら「ふん下らん」などと言うのではなく、「邪馬台国は台湾だったのか。すごい発見だな」と楽しんであげるくらいでちょうどいいでしょうし、逆に「そういうもの」を「そういうもの」として処理できないとただの真面目な奴、文字を文字通り読んでしまう奴になってしまうのでしょう。
・・・などと書く私はひねくれているでしょうか。あらゆる言葉、文字情報は「少しは疑えよ!」というスタンスでいる私は、2020年春(もう4年前か)、「何の対策もしなければ(新型コロナウイルス感染症で)42万人死亡」などと新聞に書いてあるのを読んで「あれだけ激しい戦闘が続いた沖縄戦の死者ですら20万人なんだけどな」とまともに取り合いませんでした。その後の社会の雰囲気に「こりゃアホだ。後で誰も反省しないやつだ」とあきれ返り、
新型コロナウイルスと集団ヒステリー。後から事件を振り返ってみるとどうなるのだろう?
という記事を公表するに至りました。私自身ももともとAKBを応援していた成り行きから「人の言う言葉ってあくまでも言葉であって確かな事実じゃないよね」と分かりきっていたのでこのようなことを書きました(この記事は今でも我ながらいい点を突いていると思います)。
それにしても、私が今死んだら渡辺麻友さんの子どもになれるのでしょうか。『推しの子』で一番気になったのはそこでした。
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