キューバの老漁夫サンチャゴは、84日にわたる不漁ののち、たった一人で船出して巨大なカジキマグロを仕留めます。ところがその帰り道に鮫の群れに襲われ、船にくくりつけたカジキマグロは徐々に食いちぎられ、港に戻ってきたころには獲物は骨しか残っていなかった・・・。

というのが有名なあらすじです。突然で申し訳ありませんが、カジキマグロという魚はいません。
東京都島しょ農林水産総合センターによると、いわゆるカジキマグロというのは、
時速百キロ以上の高速で泳ぐ魚としても知られています。このカジキ類のことを、カジキマグロと呼ぶ人がよくいます。しかし、マグロとカジキは全く別の魚なのです。カジキの仲間は上アゴの先端が長く伸び、尖っています。そして分類学的にはマカジキ科あるいはメカジキ科に属します。一方、マグロ類は上アゴが伸びず、すべてサバ科に属しています。しかし、ともに外洋を泳ぎ、延縄で漁獲されます。また、大型で刺身や鮨ネタに向くので、料理屋さんなどが同じように扱い、カジキマグロという名前がつけられたのかもしれません。
ウィキペディアによると、カジキは「大型種では全長4 m 以上・体重700 kg に達する。小型種でも成熟すると全長1mを超える」とありますから、これをたった一人で捕らえた老人の漁師としての力量は大したものです。いえ、大したものですと片付けられるようなものではないですね!

帰り道に鮫に襲われる老人ですが、困難に立ち向かう彼のなんと毅然としたことでしょう。

鮫の影を水面下に認めると、「いま、老人の頭は澄みきっていた。全身に決意がみなぎっている。が、希望はほとんど持っていなかった」という態度でこの困難に接し、銛を持って闘うことを決心しました。
獲物に食らいついた鮫の脳天を銛で突き刺すと、たちまち水中に沈んでゆきます。この最初の闘いで銛を早くも失っています。鮫とともに海の中へ引きずり込まれました。

それでも老人はなおも意気軒昂たるものがありました。
「けれど、人間は負けるように造られてはいないんだ」とかれは声に出していった、「そりゃ、人間は殺されるかもしれない、けれど負けはしないんだぞ」
彼は銛に代わる武器としてオールにナイフをくくりつけ、即製の武器として次々と襲いかかる鮫に応戦します。
「さあ」とかれはいった、「おれはちっとも変わらない、前とおんなじ年寄りだが、もう丸腰じゃないぞ」
何匹かの鮫を刺し殺すと、最後の鮫の体はナイフの刃が刺さったまま海の中に沈みます。ところがそれでもなお老人は短い棍棒を取り出し、鮫との闘いを続行するのでした。
こうして幾度も武器を変え、港を目指して航行を続ける老人の勇戦もむなしく、帰港する頃には彼が獲得した魚の肉はほぼ食い荒らされ、骨だけとなってしまいました。

この航海によって得た金銭的利益はゼロでした。

しかしながら、とほうもない規模のカジキマグロを仕留めたということだけは港町で早くも評判となっていました。おそらくこの漁は地元の英雄譚として長く語り継がれることでしょう。

私はこの老人の姿に、困難に立ち向かうにあたっての漁師の誇り、さらには人間の尊厳すら感じ取って背筋が伸びる思いがします。どのような苦痛・苦役であっても人はその運命に立ち向かう権利があり、「おれはちっとも変わらない、前とおんなじ年寄りだが、もう丸腰じゃないぞ」と海に向かって叫ぶことが可能であるという、人間の可能性を示したものといえるでしょう。

この作品の初出は、米国の雑誌『ライフ』の1952年9月1日号でした。これがヘミングウェイ最後の作品でした。老人の姿は作者その人だったのでしょうか。彼は人生の最終行程において、燦然と輝く小説を残したことは間違いないでしょう。