ヴァイオリンという楽器はむちゃくちゃに難しいので初心者が何も知らずにただ憧れだけで初めて大爆死するというパターンはよく目にします。
一番かわいそうなのが、「定年退職後に憧れのヴァイオリンを初めてみた」というやつです。
定年退職したということは、あと20年は生きられるということでしょう。でも自由に体が動かせるのはせいぜいあと10年。でも10年毎日練習したとしても、バロックの初歩的なソナタをなんとか人前で違和感持たれずに弾けるくらいのクオリティへ持っていければ御の字といったところで、大半の人はそこにたどり着く前にやめてしまうでしょう。もっと若い人が始めても「もうだめだ」といってやめていくのも日常茶飯事。

ギターの老舗フェンダーによると、ギター初心者の90%は1年以内に挫折してしまうのだとか。じつはギターというのはヴァイオリンよりも遥かに簡単です。私も数年の練習でフジファブリックとかポルノグラフィティとか椎名林檎の曲を人前で演奏していたくらいですから(今は弾いていませんが)。それでも90%が挫折するわけですから、もっと難しいヴァイオリンは推して知るべし。

数々の困難を乗り越えて、ほんの一握りの人がヴァイオリニストと呼ばれる職業になり、人前で演奏してギャラを稼ぐようになります。でも、このことについてはあまり議論されていないような気がします。指摘してしまうと「それを言ったらおしまいだろう」ということなのか、あまりに深刻な問題なのであえて誰もが議論を避けているのか・・・。

ヴァイオリニストが自分のトーンを持つことの難しさ

日本だけなのでしょうか。他の国々でもそうなのでしょうか。才能ある若手がやたらとアイドル的に抜擢され、財団法人なり企業なりからオールドヴァイオリンを貸与されたり、YouTubeでやたらと注目されたりするパターンが目につきます。私が学生だったころからも、やはり若手(とくに女性)奏者が打ち上げ花火のごとく売り出されてCDを1、2枚ほどリリースして、数年後に「そういえばあの人最近どうだっけ」となるのを目にしてきました。クラシック音楽というのは伝統芸能の世界のはずであり、アイドル的華やかさやマーケティングとは相容れないはずですが・・・。

そして、この手の若手奏者は確かに腕が立つことは間違いないです。戦後数十年かけて蓄積された指導法のおかげでしょうか。スポーツの世界とくにフィギュアスケートでは「数十年前では考えられないが、今では10代前半の選手がこんな高度な演技をしている」というのが目立ちますがヴァイオリンの世界でも同様で、戦前のいわゆる「天才少年・少女」の録音と比べると一目瞭然。

・・・が、そりゃ上手いことは確かなのですが・・・、なぜかみんな同じように聴こえてしまうのです。これは何でしょうか。有名企業の採用試験を受けに来た学生たちを見ているような、とでも言えばいいのでしょうか。全員同じようなリクルートスーツを着て、同じような仕草で面接室に入ってきて、誰もが非の打ち所のない話をします。出身大学が東大だったり一橋だったり早慶だったりと優秀であることは間違いないのですが、とにかくみんな同じなので誰を選んでも正解であり、また失敗なのです。

これを音楽で言うなら、誰もがパガニーニとかイザイとかの曲を弾きこなすものの、目を閉じて聴いてみると誰の演奏なのか結局分からないのです。
ハイフェッツとかエルマンとかグリュミオーとかパールマンとか、一流ヴァイオリニストは「あ、これはハイフェッツだ」と聴いてすぐに分かるトーンを有していました。そういうトーンを持つに至って始めて歴史に名を残すほどの奏者になれるということでしょうか。だとすると、ただでさえ技術の修得だけで難しいのに、自分のオリジナルなトーンを持たなければならないなんて、もう無理ゲーとしか言いようがありません。音楽を論ずる側もそれを分かっているからこそ、「なんだ、どいつもこいつも同じじゃないか」とわざわざ指摘しないのでしょうか・・・?