よく「弱いつながりからキャリアが開けることがある」のような話を耳にすることがあります。私は「友だちいない研究所」なんていう根暗なブログを運営しているくらいですから、弱いつながりすら全くありません。だからキャリアなんてもう開きようがありません。狭い道を一人で進んでいくだけです。いや、進むんじゃなくて後退しているのかもしれません。
指揮者・朝比奈隆さんはドイツ音楽を得意とし、特にブルックナーはこの名前が日本でまだほとんど知られていなかった時代から繰り返し演奏会のプログラムに載せ、彼の交響曲の認知度を徐々に上げていったという功績があります。彼の残したブルックナーの数々の録音は、ヨッフムやハイティンクといった名録音に比肩する価値があると言えるでしょう。
その朝比奈隆さんは1947年に関西交響楽団(現在の大阪フィルハーモニー交響楽団)を組織し、戦後の関西の楽壇で名声を高めてゆきます。1953年には海外のオーケストラに客演することになりましたが、帰国後にブルックナーの『交響曲第9番』を指揮する予定でした。
ご存知のとおりブルックナーの楽譜には「原典版」とか「改訂版」とか「ハース版」とか「ノヴァーク版」など版の問題があります。戦前は、ブルックナーの知名度が高まらない弟子たちが良かれと思って余計なオーケストレーションを加えたり短縮したりした「改訂版」が用いられることが一般的でした。
1930年代になるとハースが全集版を刊行しはじめ、その後ナチス寄りだった彼はナチ体制の崩壊とともに失脚。戦後になってノヴァークが再び全集版を刊行し始めます。
・・・そんなことがドイツで起こっているとはつゆ知らぬ日本の朝比奈隆さんは、一番使ってはいけない「改訂版」を写譜してパート譜を作るように、と言付けてからヨーロッパ客演の旅に出ます・・・。
ちょっとしたきっかけで音楽が激変
フランクフルトに滞在中の彼は、レストランでまさかのフルトヴェングラーとバッタリ出会います。
「帰国したらどんな曲を演奏するのか」と訊ねられ、「ブルックナーの『交響曲第9番』」と答えると、フルトヴェングラーは「原典版で演奏すべきだ」と助言しました。
原典版? なんだそれは。一応日本で出回っているのは改訂版で、弟子が改良と称した手が加わっていることは知っていたものの、フルトヴェングラーがそう言うのならと楽器店に言ってみて探してみたら、ハース版が売っていました。読んでみたら全然違うこと、違うこと。とくにスケルツォなんてまるで大違い。何だこれは。驚いた朝比奈隆さんはすぐに航空便で日本へ送り、直ちに写譜に取り掛かるようにと指示しました。
結局このときはすべての写譜が間に合わずに不完全な形だったようですが、もしもこのときフルトヴェングラーと出会っていなかったら知らぬが仏で最も完成度が低い改訂版を使い続けていた可能性があります。いずれハース版やノヴァーク版にたどり着いたかもしれませんが何年も遠回りしていたことでしょう。そうなると日本のブルックナー普及もずいぶんとブレーキがかかっていたか、なぜか日本だけ改訂版の楽譜がありがたがられるという奇怪なガラパゴス現象が起こっていたかもしれません。そもそもホテルでフルトヴェングラーと鉢合わせるなんていうのもものすごく確率が低い出来事ですから、そういう方向へ歴史が流れていったことだって十分考えられます。ちょっとした人との出会いで音楽がガラリと変わるなんて、本当にあったんですね・・・。
注:『朝比奈隆 交響楽の世界』でベートーヴェン、ブラームス、ブルックナーのチクルスに挑んだ時の回想にこのようなエピソードが記されていました。
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