チャイコフスキーの「ヴァイオリン協奏曲」は1878年、スイスのクラランで完成しています。彼がこの作品に着手したのは3月17日で、なんと4月10日には書き上げています。ということは1ヶ月かからずに完成にこぎつけたということですね。ところがこのあと、初演時のヴァイオリニストとして想定していたコチェークには演奏を辞退されてしまっています。いきなりの想定外! 代わりに演奏を依頼しようとしたレオポルド・アウアーにもやはり演奏不可能と宣言され、その後本当に初演されたのはずいぶん時間が経過した1881年のことでした。ブロツキー独奏、ハンス・リヒター指揮でウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏です。

が、批評家ハンスリックからは悪趣味だと言われ、他の評論家もこれになびいて辛口の評が相次ぎました。この光景を察するに、「偉い先生がそういうんだから、きっとそうだろう。異を唱えるよりも空気を読んで大勢についたほうがいいだろう」とでも思った人が多数いたのでしょう。

ところがブロツキーはめげなかった。この作品が好きだったのか、チャイコフスキーに恩を売ろうと思ったのか、理由はともかくとして何度も再演を重ねるうちに曲の真価が知られるようになると、なんと初演を断ってきたアウアーまで積極的に演奏会で採り上げるようになりました。って演奏不可能なんじゃなかったの!? 演奏できるならどうして演奏不可能って言ってしまったの!?

私自身は、チャイコフスキーの「ヴァイオリン協奏曲」はあまり好きになれません。彼のバレエ音楽や交響曲と比べるとどうにもこうにもロシア的な香りが強すぎる・・・、というか、なんだか田舎臭さが抜けきらないのです。個人の感想を書き連ねても仕方ありませんが・・・。ただ現代日本ではメンデルスゾーン、ブラームス、シベリウスと並んで「ヴァイオリン協奏曲」の中でも抜きん出た人気を誇るだけに、私のような意見は幸いにも少数派だということでしょう。もしかしたらアウアーも弾こうと思えば弾けたのに弾く気がおきなかっただけなのかもしれません。ちなみに彼の「ピアノ協奏曲第1番」も大ピアニストのニコライ・ルビンシテインに作品を見せたところ、なんと「演奏不可能と酷評されてしまったのです。

チャイコフスキーは、ピアニスト・指揮者ハンス・フォン・ビューローにこの作品を献呈。そのビューローが1875年にボストンで初演し、一躍人気曲になっています。執念深い話です。


弾けるのに弾けないと言われてしまうヴァイオリン協奏曲

「演奏不可能」と言われたヴァイオリン協奏曲はチャイコフスキーだけではなく、20世紀のバーバーも同じ目に遭っています。これが20世紀の作品か、と思うようなリリシズムに満ち溢れた名曲です。そう、「弦楽のためのアダージョ」を書いたあのバーバーの作品です。1939年、フィラデルフィアの実業家が養子のために委嘱したことがきっかけで書かれることになりました。

しかしバーバーがその年の夏に完成させた2つの楽章は「協奏曲らしい華やかさがない」と言われてしまいます。そして無窮動曲といっても過言ではない第3楽章は「演奏できません」と言われてしまいました。

が、そこから演奏可能と判明するまでが早かったようです。学生に数時間練習させてみたところ、演奏できてしまいました。こうしてバーバーの「ヴァイオリン協奏曲」はお蔵入りを回避し、今もしばしばコンサートプログラムに掲載される運びとなっています。

にしてもこれも一体何を理由に演奏不可能と言ったのか。自分が苦手な技巧があったから「(私は)演奏不可能」だったのか、明らかに難しそうだと早合点して「(誰がチャレンジしても)演奏不可能」と思ったのか・・・。自分が弾けないから演奏不可能と言ってよいなら、私にとって世の中の99%の曲は演奏不可能なんですけどね・・・。