田中芳樹さんの代表作『銀河英雄伝説』は、最後の最後で皇帝ラインハルト・フォン・ローエングラムが「変異性劇症膠原病」(ヴァリアビテートウ・フルミナント・コラーゲネ・クランクハイト)通称「皇帝病」(カイザーリッヒ・クランクハイト)により命を落とします。享年25。その治世は満2年あまりという短いものでした。
これとほぼ同時刻に軍務尚書オーベルシュタインもまた死亡しています。ラインハルトの部屋だと偽の情報を流して地球教徒をおびきよせ、自室に爆弾を投げ入れさせています。
「助からぬものを助けるふりをするのは、偽善であるだけでなく、技術と労力の浪費だ」
そう冷然と言い放ち、飼犬には鳥肉を与えること、遺言状のありか、ラーベナルトという名の執事がいることを告げてそっけなく両眼を閉ざして死んでいきました。
後日、生き残った地球教徒の告白によると、オーベルシュタインがいた部屋を皇帝の病室と信じこんで爆発物を投じたということであった。軍務尚書は、皇帝の身代わりとなって爆死したのである。ただ、それが、すべてを計算しつくした上での殉死であったのか、単なる計算ちがいであったのかについては、彼を知る者の意見は二つに分かれ、しかも、一方の意見を主張した者も完全な自信を持ちえなかったのである。(『銀河英雄伝説第10巻 落日篇』より)
私自身は殉死ではないかと思っていますが、「本当に殉死か?」と問われると「きっとそうです」と言い返せるだけの自信がありません。
オーベルシュタインはヤンを謀殺しようとし、そのための死間(捉えられ、処刑されることを前提とした間者)には自らを用いてもよいという献策をするほどの人物ですから、いつか自分がどこかで死ぬだろうと覚悟していたのは間違いないでしょう。
私が殉死だろうと考えるのは、皇帝が死んでからの体制にとって、オーベルシュタイン自らが邪魔だと認めてしまっただろうと推測しているからです。皇帝の死後、摂政となるヒルダを中心として政治が動くことは明らかですが、その時点ですでに軍事的な意味での抵抗勢力が消滅しているため宇宙艦隊は縮小することは間違いなく、主たる任務が外征ではなく治安維持に重きが置かれるはず。
そのような時代に、謀略や冷徹な人事などに長けた人物が軍務尚書であることは望ましいことではないでしょう。もしもオーベルシュタインが引退してヤン憧れの年金生活に入ったとしても、いずれ軍隊が縮小されていくことに不満を抱く者に担ぎ上げられ、平和であるべき時代にかえって動乱を招いてしまうおそれもある・・・。そのような種は事前に排除しておいたほうがいいだろう。そう思ったのではないでしょうか。
ただこれも、「だからといって死ぬのは乱暴すぎる解決策だろう」と言われると「そうですね」とつい頷いてしまいます。なにしろオーベルシュタインが死んでも軍務尚書という職位は残りますから、誰かがその後を引き継がなければなりません。誰が?
『銀河英雄伝説』が完結した時点で、実はミッターマイヤーやミュラー、アイゼナッハといった艦隊司令官は複数名生き残っており、いずれも逸材であることは間違いないのですが、この作品にはいわゆる「優秀な文系総合職人材」があまり登場しません。オーベルシュタインを除くならヒルダとその父、あとはテロで死亡したシルヴァーベルヒくらいでしょうか。あとはキャゼルヌもフレデリカも優秀ではあるものの、銀河帝国のために働くなんてちょっと想像しづらいですね。
というわけでオーベルシュタインが死んだら軍務尚書の任に耐える人材がいるとは思えず、後進を育成しないで勝手に死んでしまうというのは彼にしては迂闊な話なのです。「彼を知る者の意見は二つに分かれ、しかも、一方の意見を主張した者も完全な自信を持ちえなかったのである」。さもありなん。
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