Cuvie先生のバレエ漫画『絢爛たるグランドセーヌ』の24巻ではレベッカとマットの恋が描かれています。
ところがロイヤル・バレエ・スクールでは恋愛は禁止という規則があるらしく、これが障壁となって二人は「意識しあっている」地点から先へ進むことができません。

本当にこの学校で恋愛禁止という決まりがあるのかどうかは不明ですが、なんだかAKBとか乃木坂を彷彿とさせます。現実のアイドルは、恋愛禁止を守りきることができず、文春砲を食らって炎上することが数多くあります。というか世の中にはアイドルがたくさんいるのでしょっちゅうですね。スキャンダルゼロでアイドルをやりきったのは私が今もいたく応援している渡辺麻友さんくらいのものでしょう。

それはともかくとして24巻ではレベッカとマットが「いい感じ」になって二人の関係は落ち着きを見せます。アイドルだけではなくて普通の中学生や高校生ならこうはいかないでしょうね・・・。


『絢爛たるグランドセーヌ』、やっぱり日本の作品だ

この巻の焦点は二人の関係がどこまで深まるか、自分の気持ちを告げるのかどうかというところです。そこで、(言わなくていいのに)「友達でいよう」などと言う場面があります。ふざけるなっ! ワイなんか友だちなんていないぜ! ・・・読んだ瞬間、私はそういう間違った感想を持ってしまいました。
ただ「友達でいよう」なんて、自分たちが友達らしい仕草をしあっているのであれば「友達でいよう」などと当たり前のことをわざわざ言う必要がないでしょう。「私は呼吸している」なんていちいち言わないですよね。当たり前だからです。お互い「なんか違うな」と思ったら離れていく。「いいな」と思ったらその関係が続く。それだけのことです。世の中には言わなくていいことはたくさんあります。言わなくていいことは本当に言わなくていいのです。

ちなみに、男女関係を深めるうえで「告白」というプロセスがあるのは日本、韓国、台湾くらいらしく、地球レベルで見れば「あなたが好きです。付き合ってください」と宣言するのは奇妙な習慣だとか。

お互いがなんとなくいい感じになってそのまま関係が続き、周囲も「あの二人はああいう関係だよね」と認識するようになれば、つまり二人はそういうこと。だから明確な始まりというものはありません。
よって、この巻で非日本人であるレベッカとマットが、自分の気持ちを言う・言わないなどで悶々とするのは日本人らしい振る舞いであり、海外を舞台にしていてもやはり『絢爛たるグランドセーヌ』は日本人作家の作品なのでした。

でも恋愛禁止なんていう決まりごと、本当に守らなければならないものなのでしょうか。私だったら「こりゃイケるな」と踏んだらためらわずに進んじゃいますけどね。クソ教師から「お前ら恋愛禁止だ」とか言われても「そんなことはありません。たまたま仲が良さそうに見えただけです。ハリーとハーマイオニーみたいなもんです」とか言ってごまかせばいいでしょう。

ちなみにこの巻の終わりには新型コロナウイルス感染症について触れられています。ということはこのフィクション作品にも現実に起こったことが再現されてしまうのでしょうか。
最終ページに「ずっと踊っていたい」などという台詞が登場しますが、これは「戦争が終わったら村に帰って幼なじみと結婚するんだ」と同じでなにかのフラグでしょうか。ついそう深読みをしてしまいます。