AIはとても便利なもの。この前も職場でパワーポイントのスライドの読み上げ原稿を作りなさいという仕事があり、面倒だったのでAIに「読み上げ原稿を作って欲しい」といって渡したら20秒くらいでほぼ手直し不要な文章が出来上がりました。人間である私が同じ作業をしていたらその100倍は時間がかかっていたはずです。とても嬉しい!
その出来事から数カ月後、たまたま総合型選抜専門の予備校の先生の話を聞く機会がありました。「志望動機をAIで作文させたら、こういう文章ができます」ということで、サンプルを見せてくれました。
私の志望動機は、早稲田大学が提供する多様な学問領域、豊かな教育環境、そしてグローバルな視野を有する卓越した教育機関であるからです。
早稲田大学はその歴史と伝統に裏打ちされた豊富な学問領域が魅力的です。私は、幅広い知識を身につけ、異なる分野の専門性を理解することで、課題に対する総合的な視点を形成したいと考えています。早稲田大学の多彩な学問領域に触れることで、自らの興味や能力を最大限に発揮し、社会に貢献できるような人材に成長したいと思っています。(以下略)
大体こんな文章でした。けっこう大人びた文章で、しっかりした内容じゃん、と思いました。
が、甘かったですね。「これだと絶対落ちます」。
理由は、「その人のマイストーリーが何一つ語られていないから」。うーむ確かに。
他方で、「芥川賞受賞作家、執筆でのAI活用認める」というニュースも。
日本の作家、九段理江氏(33)は同国で最も栄誉ある文学賞の一つを受賞した後、普通とは異なるものの力を借りていたことを認めた。対話型人工知能(AI)「チャットGPT」だ。
九段氏は、17日に芥川賞を受賞。今後も執筆にはAIを活用し、自分の創造性を発揮できるようにしたいと語った。(中略)記者会見では、受賞作「東京都同情塔」の5%前後で生成AIの文章をそのまま使っていると確認した。同作は選考委員会のメンバーから、ほとんど非の打ち所がないと称賛されていた。作家で芥川賞選考委員の平野啓一郎氏は、ソーシャルメディアのX(旧ツイッター)への投稿で、九段氏のAI使用について選考委員らは問題視しなかったと述べた。
その中で平野氏は、「九段理江さんの受賞作が生成AIを使って書かれた(「5%くらいはそのままの文章」)という話が誤解されて独り歩きしているようですが、読めばわかりますが、作中に生成AIが出てきて、その部分の話であって、地の文でどこで使用されたかわからないような形でまぎれているわけではないです。そういう使い方の問題も今後は出てくるでしょうが、『東京都同情塔』はそうではないので、選考会でもそのこと自体が特に問題にはなりませんでした」と説明している。(https://www.cnn.co.jp/style/arts/35214148.htmlより)
こういうところを踏まえて考えてみると、やはり現時点でAIは読み上げ原稿とか、定形的ニュース(決算や人事異動の発表など)は対応可能なものの、自己PRをすべき書類は「それっぽいことを言っているが、ツルンとしていて歯ごたえがない」水準にとどまり、文芸作品は「AIを使った」といってもせいぜい5%である以上「人間が手を加えなければいけない」といった程度のようです。
結局のところAIには情緒がなく、固有の人生もなく、したがって信念を持って伝えるべき言葉がないわけですから、「感動をもたらすクリエイティビティ」という一点において人間を超えることはないと見るべきでしょう。
ブログ記事を毎日書き散らしている以上、AIで文章を書かせることができるかどうかにはかなり関心があります。しかし色んなニュース記事を読めば読むほど、「AIと人間の違い」に私の考えは帰着してしまい、やはり上述のような結論に何度でも至ってしまうのでした。
コメント