2024年1月6日(土)に立川にある国営昭和記念公園で30km走るというイベントに参加しました。
これまで私は最大で20kmしか走ったことがなく、さらにそこから10kmも長い距離を走るというのはまさに未知の経験。エントリーしている周りの人はみんな足が速そうに見えるわ、速度を計測するためのICチップの付け方がわからないわ、そもそも昭和記念公園の入口から集合場所までどう歩いたら分からないわ(結局、人の流れになんとなく付いて行った)とキョドることの多い1日でした。
というわけで集合場所に到着したらしたで、ランナーたちは全員が本格的な装備で、私みたいにワークマンで買ってきた上着のようなものを着ているのは私だけでした。せっかくだから渡辺麻友卒業コンサートのTシャツを着ていこうかと思っていましたが、そんなことはしなくて正解でした。
ともあれこの記事の目的は、足の痛みはどのようなものだったのか、なるべくはっきりと書きとめておくこと。ああ、まだ左膝が痛い・・・。
30km走るイベントに参加したときの足の痛み
10km地点まではまだ余裕がありました。「体が軽い・・・こんな幸せな気持ちで戦うなんて初めて。もう、何も怖くない!」などと巴マミのようなことを考えて一人で得意になっていました(注:1kmを6分ちょっとで走っていました。あまり速くないですね)。
が、勘違いでした。12~14kmあたりからだんだん走ることに飽きてきて巴マミのことが脳裏からだんだんと消え去っていきます。代わって頭の中は少しずつ空っぽになっていきます。そして腰や脚がだんだんと痺れるというか・・・、もし自分の体が飛行機だとしたら金属疲労という言葉で形容するのがふさわしいような感覚を感じ始めます。たまに私は1週16kmの諏訪湖を走りますが、まだ16kmで終わっているのでこのあたりの感覚の入口で終わりとなります。
が、このイベントは15kmで半分。そこから先は痺れるような感覚がだんだんと輪郭が備わってくるというか、一層はっきりと自覚されるようになってきます。
20km地点でアミノ酸飲料が手渡されます。これを飲むと「後半の粘りに」効くらしいのですが、本当でしょうか。私はますます疲労が濃くなっていきます。なにしろ足がなかなか動かない。ペースは6分台から6分20秒、6分30秒と1km進むごとにちょっとずつ落ちていきます。遅いペースなだけに息苦しさとか、心臓が辛いといったようなことはあまり感じませんでした。とにかくなぜか足が進まない、進まない。ちょっとした傾斜を登るのも、23kmあたりから苦痛を感じます(フルマラソンならあと半分も残っています)。そして右足の先が痛くなってきます。ランニングシューズの左右で靴の中の空間のゆとりに違いがあり、右側はちょっとゆとりがないな、ということは出走前から自覚していました。が、その「ちょっと」がここに来てダメージとなってしまいました。走る前にシューズのゆとりは要チェックでした。後悔先に立たず。
25kmあたりからはほぼ無心となりました。足が痛い、足が進まない、なかなか前に進まない・・・。
司祭は足をあげた。足に鈍い重い痛みを感じた。それは形だけのことではなかった。自分は今、自分の生涯の中で最も美しいと思ってきたもの、最も聖らかと信じたもの、最も人間の理想と夢にみたされたものを踏む。この足の痛み。その時、踏むがいいと銅版のあの人は司祭にむかって言った。踏むがいい。お前の足の痛さをこの私が一番よく知っている。踏むがいい。私はお前たちに踏まれるため、この世に生まれ、お前たちの痛さを分つため十字架を背負ったのだ。こうして司祭が踏絵に足をかけた時、朝が来た。鶏が遠くで鳴いた。
これは有名な遠藤周作の『沈黙』の一節です。私が踏んでいるのは踏絵ではなく、ただの道路です。私は宣教師ではなく、ただの遅いランナーです。が、たとえ違う種類の「足の痛み」であっても、この文章からは苦痛がにじみ出ていることは、30km走った自分はこれまで以上に理解できるようになりました(なお、言うまでもなく銅版のあの人はイエスを指し、「鶏が遠くで鳴いた」は新約聖書の記述を意識した表現になっています)。
30km地点にたどり着き、無事完走したときはスタートから3時間13分が経過していました。やったとか嬉しいとかいう感情は湧いてきません。とにかく無言になります。無言にならざるを得ません。言葉が出てきません。要するにエネルギー切れです。辛かった・・・。最後の数キロは渡辺麻友さんを思い浮かべて必死に走るかと思いきや、そんな余裕すらありませんでした。とにかく辛かった・・・。
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