誰の話題にもなりませんでした。
元々中学や高校では友だちがおらず、大学進学をきっかけに上京し、試験があったので成人式のために帰省することはなく、ずっと東京にいました。
その後、同じく東京に出てきていた同級生とたまたま会う機会があり、「成人式で誰々と久しぶりに会った。こんな話をした」と言っているのを聞きました。が、どうやら、私のことはまったく話題になっていなかったようなのです。もし私のことが話題になっていれば、「そういえば〇〇っていまどうなっているのかなあってA君が気にしていたぞ。A君の連絡先を俺は知っているが、電話でもしてみるかね?」という話になっていても不思議ではないはず。
そういう話にならなかったということは、私のことはもう誰も気にしておらず、記憶にも残っておらず、もしも記憶に残っているにしてもいちいち持ち出すほどの存在ではなかったということでしょう。
ちなみに大学を卒業するときも、謝恩会があったようなのですが私は呼ばれず、卒業証書を手渡す教室でも席は自由だったのですが、他の人は「卒業旅行がどうのこうの」と盛り上がる一方で、私の周りだけポッカリと空間が空いていて私は一人ぼっちでした。
就職してからも、なぜか同期の集まりに私が呼ばれるということもほとんどなく、その会社を退職するときも私の送別会はありませんでした(一応企画はされたものの、自ら取りやめを申し出ました)。
社会人になってからかなりの年月が過ぎようとしています。今年届いた年賀状は1枚・・・。
思うに、「成人式に出ない、だけどどうやら誰の話題にもならなかったらしい」というのは氷山の一角ではないでしょうか。
子供の頃から友だちがいなかった、暗い性格だった。だから小学校に入っても友だちができず、中学でも根暗で誰とも喋らず、高校でもやっぱり友だちができず、大学でもイメチェンできるかと思えばそういうことをする性格ではなかった・・・。だから、成人式でも誰とも会いたいとも思わないし、誰かが私のことを会いたいと思っているはずもなかろうと容易に想像できるので、欠席します。
その後どうなるかというと、別に人の性格が変わるということはありませんから、「成人式に欠席したが、存在がスルーされていた。誰の話題にもならなかった」の繰り返しになります。
すなわち、大学の卒業旅行は行かないか、一人でどこかへ。卒業にあたっての謝恩会には誘われない。就職した会社で、同期の中でもなぜかLINEグループに入っておらず(誘われず)、転職しても似たようなことになり、土日は誰とも会わず(人と喋らないことに幸せを感じ)、年賀状はほとんど来ない。来たら来たで車かなにかのセールスマンからだったり。
ほとんど同じ環境で幼い頃を過ごした小学校の同級生を思い返すと、私みたいにぼっちで陰キャな人はいませんでした。要するに私がそういう性格に生まれついただけの話であって、成人式を欠席するというのはそういう性格の一つの表れであり、その後の人生でも無限にそのバリエーションが繰り返されているのでした。
結論:人の性格は変わりません
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