この話はもうブログに何度も書いたとおり、マッチングアプリは男性と女性で環境が大違いです。男性の場合、「いいね」をバラまかないと女性と会うことはできません。体感的には100件いいねしてマッチングするのが一桁、そこからメッセージのやり取りをスタートさせて実際に会えるのは、1~2人といったところではないでしょうか。だんだん(誰でも)「いいね」になってきます。まあオスは種を蒔く生き物なので、大自然の法則に適っているといえばそうでしょう。

マッチングアプリは男性が有料で女性が無料。お金を払って、9割がた無視される「いいね」を送りつけなければならないなんて、幸せになろうとしてかえって疲弊しているようにしか思えないのですが・・・。

逆に女性は毎日山のように押し寄せる「いいね」に疲弊してしまいがち。

東京都立大学の学生だったオオノリサさんは、『婚活との付き合いかた』という本のなかで自分の体験を次のように記しています。

自分から男性を探す気力がなかったため(注:自己紹介のための設定をするだけで疲れた模様)、ひとまずは、「いいね」をいただいた人の中から好みに合いそうな男性を探すことにしましたが、ここでも大きな壁が立ちはだかります。短時間で大量の「いいね」が送られてくることにより、選り好みをすることにすら労力が必要だったのです。

多くの方に魅力を感じていただけて大変ありがたいことではありますが(注:実際は、男性はこの方に特に魅力を感じたわけではないはずです。前述の通りの理由があります)、ある程度捌いても、少し経つとまた「いいね」が大量に溜まり、プロフィールをじっくり見ていてはすべての「いいね」を到底捌くことなどできません。

この結果、オオノリサさんは外見で相手を判断することにしています。大量に「いいね」が来て、選べる側になってしまった以上はジャニーズ系の顔立ちを求めるようになっていったのです。自分は「ハイスペックな人を選ぶ権利があると思ってしまったのでしょう」と述懐しています。
結局婚活では外見より中身だと結論づけていますが、それでもマッチングアプリを使っている間は、顔での判断比重が重くなることを自覚しています。

そしてマッチングしたらしたでメッセージのやり取りが始まるものの、誰もが型にはまったような中身のないやり取りが続くことに辟易し、オオノリサさんは飽きてしまったようです。たしかに相手を知らない以上は無難路線から入っていくのがベターでしょう。しかし、

何十人と同じようなやり取りを行うのはかなり苦痛であり、誰に対しても同じように返信することがすぐに億劫になってしまいました。たとえトーク一覧に自分好みの顔が並んでいても、さすがに同じような会話を何度もするのは苦行でした。
この結果として特定の男性と仲良くなることはできず、何度も繰り返される中身のない会話そしてアプリそのものに疲れ、使い始めてわずか3週間ではほとんど男性と会話しなくなっていったそうです。オオノリサさんの友人も、やはり「決め手に欠ける」ことを理由に男性との関係を深めることをやめてしまったり、アプリそれ自体の利用に疲れてしまったという声が上がったとか。つまりは選択肢が多すぎるがゆえに逆にヒトリダケナンテエラベナイヨーという状態に陥ったんですね。

これがアイドルグループであれば、「箱推し」という路線へ舵を切ることができます。




しかしながら、マッチングアプリというパートナー選びの場では事情が異なります。一夫一妻制を採用している日本では、パートナーは一人が原則。相手が多すぎるという状況では、真剣にやればやるほど結婚が遠ざかるという皮肉を生み出します。

ここまで書いて思い出すのが、トルストイの『戦争と平和』のピエールです。
彼は遺産を相続してロシア随一の大富豪となります。しかしお金目当てで自分のことを本当に好きでもない女性をはじめとして、色々な思惑を持った人物が彼に「いいね」してくることになります。当時、ロシアは「祖国戦争」(ナポレオンの侵攻に対する防衛戦争)のさなかにありました。長い物語が佳境に入ると、ピエールはフランス軍の捕虜となり、貧しい農民兵カラターエフと出会います。そしてカラターエフの生き方を見て、大富豪になってからの自分の生き辛さは有り余る自由から生じていたことを悟るのでした。「すべての不幸は、不足ではなく過剰から生ずるのだ」と。

なんだかマッチングアプリで「いいね」を大量に受け取ってしまう女性にも同じことが当てはまるような気がします。「いいね」をもらいすぎるあまり、かえってパートナーを見つけることができず、ばかりか疲弊して本来の目的を果たせずマッチングアプリそのものから撤退してしまう。

いやいや、そもそもマッチングアプリという仕組の基礎となる「インターネット」という技術自体、私達の生活を「便利」にはしてくれますが、便利だからといって必ず幸福をもたらしてくれるわけではないようですね。うーむさすが『戦争と平和』、古典と言われるだけのことはあるわい。