「自由に絵を描いてよい」という課題が美術で出たので、画用紙を緑色に塗りたくって、真ん中に黒い線をスッと引き、「道路」という題名で提出した奴がいました。緑色は田んぼ、黒い線はアスファルトの道路を表しているのだとか。賢いな!
「自由に本を選んでよい」という前提なら、「銀河鉄道の夜」とか「伊豆の踊子」とかを選ぶ人が多いでしょう。まあ無難路線ですね。別に小説版『君の名は。』とか『すずめの戸締まり』を選んだっていいんですけどね。
そんな中、『万葉集』を選んだあなた。なかなかロックです。「令和」の出典が『万葉集』だというので一時的に『万葉集』がブームになり、すぐに廃れました。ブームなんてそんなもんです。
でも実際に『万葉集』を紐解いてみると、様々な歌が収録され、面白いことこのうえなし。なにしろ7世紀から8世紀にかけて編纂された、日本最古の歌集。長歌、短歌、旋頭歌といった様々な歌体があり、さらに雑歌、相聞歌、挽歌という三部構成。表現様式も、寄物陳思(恋心を自然の出来事にたくして表現する)、正述心緒(直接的に思いを表現すること)、比喩歌など色々な表現方法があります。
さらに! あしひきの、といえば山、あらたまの、と来れば年、月、日、ちはやぶると来れば神など枕詞が満載で読んでいるだけで古文に強くなれます(当然か)。
収録された歌も、まったく古さを感じさせません! これって相当すごいことじゃありませんか? たとえば三十六歌仙の一人であり、現在でも歌の神として多くの神社に祀られている柿本人麻呂は次のように詠んでいます。
楽浪(ささなみ)の 志賀の唐崎 幸(さき)くあれど 大宮人の 舟待ちかねつ(ささなみの志賀の唐崎は昔のまま変わらぬ姿だが、いくら待っても大宮人があの頃遊んだ舟には出会えなくなってしまった。)
なんという儚さ! 自然は変わらないのに、人ばかりが無常迅速に過ぎ去っていく様子こそ、まさに「もののあはれ」以外の何ものでもありません。
柿本人麻呂はどうやら下級官吏だったらしく、ある時石見に派遣され、そこである女性と恋に落ちたようです。ところが元々は都の人間ですから、離任してまた都へ戻れという人事異動が発令されます。そこで別れを惜しんで詠んだのが次の歌でした。
笹の葉は み山もさやに さやげども 我は妹思ふ 別れ来ぬれば(笹の葉は山にさやさやと乱れ騒ぐが、私はただ一心に、別れてきた妻を思うだけだ。)
この歌を詠んで何年の月日が流れたのかは不明ながら、ついに病に冒され臨終の時を迎えます。彼は最期に次のような歌を残しました。
鴨山の 岩根しまける 我をかも 知らにと妹が 待ちつつあるらむ(鴨山の岩を枕にして倒れている私。その私の帰りを、妻は何も知らずに待ち続けているのだろうか。)
教科書に掲載されている有名な作品ではなくても、こうした涙を誘う歌が多いのが万葉集です。気になる作品を拾い読みしているだけでも面白いのですが、ある時ふと気づきます。『万葉集』は万人のための歌集であると。
何しろ天皇の歌、乞食の歌、防人の歌、農民の歌、遊女の歌、優れた作品であれば身分や財産に関わらず掲載されています。なんて民主的なんだ! 当時もちろん民主とか自由とか人権とか平等とかいう語彙はありませんでした。にもかかわらず、優秀な作品であれば歌詠み人が誰であろうととにかく収録されています。これ、世界史上類を見ないことなんじゃないでしょうか。何しろローマ帝国の文献はほとんど残っておらず、イギリスも中世にフランス人に制服されるとそれ以前の文献はやはりほとんどが失われています。まともに残っているのはせいぜい『ベオウルフ』くらいでしょうか。他方で日本は『古事記』『日本書紀』のほかにも『万葉集』をはじめとする資料が残され、誰でも読むことができます。・・・そう考えると、日本てすごいな!
・・・なんてことを読書感想文に書いてみたらけっこう高評価なんじゃないかと思いますが、いかがでしょうかね??
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