ヴァイオリンを練習していると、ある時どこかで必ず先生から「重音奏法を練習しなさい」という宿題が出されます。ヴァイオリンは基本的にメロディを奏でる楽器ではあるものの、2つの弦を同時に弓で押さえることで音を重ねることが可能です。だから重音奏法と呼ばれています。

パガニーニの『カプリース』なんて重音奏法が山のように出てきますし、バッハをはじめとする無伴奏曲にチャレンジしようとするなら重音奏法は必須。これ以外でも協奏曲だろうがソナタだろうが小品だろうが、見せ場にこの技法が使われがちです。唯一、ほとんど重音が用いられない名曲といえばベートーヴェンの『ヴァイオリン協奏曲』。音階練習かと思うほど上がったり下がったりするだけで、音程の正しさとか旋律の歌わせ方といったセンスが問われる曲です。見かけ以上に難しいのでしょうか、コンクールの本選でブラームスやシベリウスを選ぶ人はたくさんいますが、私は一度もベートーヴェンの『ヴァイオリン協奏曲』を弾いた人を見たことがありません。尺の問題も重なって、オーケストラとの公演でもベートーヴェンはあまり聴かないですね・・・。

3度が地味に難しい。指の位置関係がポジションによって近くなったり遠くなったりします。指板を押さえる指のお互いの位置は、駒に近づけば近づくほど短くなりますが、といっても1mmほどの本当に微妙なもの。それを瞬時に押さえなさい、ちょっとでも間違ったら和音が濁りますなんていうのは無理ゲーの世界。

さらには世の中には10度などもあり、オクターブで8度。この間隔をたとえば人差し指と小指で取るだけで難しいのに、人差し指をぐいっとヴァイオリンのスクロールの方へ下げ、小指を駒のほうへえいやっと伸ばし、それぞれ1度ずつ間隔を開くと8+2=10度になります。誰でしょうかこんな体に悪い奏法を考えたのは。巨大な手を持っていたというパガニーニでしょうか。まったく、人の気持ちがわからない困った奴です。


重音奏法で陥りがちな癖

この癖は私だけでしょうか、重音奏法を弾いていて先生からたびたび指摘されることがあります。
それは、音をなんとかして押さえようとするあまり、体が「ウリャッ」とばかりに左に傾いてしまうことです。無くて七癖とはよく言ったもので、そんなふうになっているなんて第三者から言われて初めて気づくレベル・・・。とはいえ思わずそうせざるを得ないほど、3度の重音を取るというのは難しいもの。

実際に「絶対音感を持っている教師の前で、重音で音階を弾いてみる」という立場になってみて「こりゃやべー技法だ」と実感するのですが、家でチューナーを使いながら練習している段階ではわりと綺麗に和音が響くので「俺、上手い」などとドヤ顔をキメることができます。

ところが絶対音感を持っている人の前でそれを披露すると、「じつはそんなに綺麗な和音じゃない」と指摘されます。「ラがすこし低いです。あと1mm上です」と普通に言われてしまいます。1mmって・・・。日常生活でまず出てこない単位なんですけど・・・。イオンモールの駐車場に車を停めるときに「あと30cm右へ」なんていうやり取りこそあれ、「あと1mm右へ」なんて普通言いませんから・・・。

挙げ句「もう一回この箇所をやってきてください」と言われ、家で練習してみたら「あれ、結構綺麗な和音じゃん」「この前はちょっと調子が悪かったんだろう。俺ほんとは結構上手い」と思います。ところが絶対音感を持っている人の前でそれを披露すると(無限ループ)。

そういうやり取りを繰り返すうちに、「重音奏法は技術が確立するまでに10年はかかります。1年ではまるでダメ。3年でなんとか橋が掛かり始めたかな、という程度」と言われました。

私は、「先生、重音奏法一つでそんなんだったら協奏曲とかソナタとか、2,3曲綺麗に弾けるようになったら私の人生それだけで終わりますね」と言ってみたものの、「そうです。ヴァイオリンはそういう楽器なんです。誰がやってもそれくらいかかるんです。ヴァイオリンはそういうものです」と真顔で返されました。

こんな難しい楽器だと知っていたら、私は絶対ヴァイオリンを始めていなかったでしょう・・・。