マルクス・アウレリウスといえば哲人皇帝として知られており、異民族とのローマ帝国辺境での紛争や自然災害、感染症の流行といった様々な出来事への対応に追われる傍ら、戦場の陣中などで自らを奮い立たせる言葉の数々を書き留めた手記は数百年の時を経て『自省録』という題名のもと出版され、多くの人を鞭打ち、励まし続けてきた名著であるとされています。

「至る時にかたく決心せよ、ローマ人として男性として、自分が現在手に引受けていることを、几帳面な飾り気のない威厳をもって、愛情をもって、独立と正義をもって果そうと」

このような短いセンテンスのなかにマルクス・アウレリウスの人となりがよく表れています。『自省録』に盛り込まれた言葉の多くは「君」のように二人称を用いられていることが多いものの、読者を想定して書かれた文章ではありませんから、「君」というのはつまりマルクス・アウレリウス自分自身に向けられた言葉なのでしょう。
「君に残された時は短い。山奥にいるように生きよ。至るところで宇宙都市の一員のごとく生きるならば、ここにいようとかしこにいようとなんのちがいもないのだ」
「君に残された時は短い」のように、『自省録』には「死」を見つめる言葉が散りばめられています。いえ、散りばめられているどころか、常に「死」を意識していると言ったほうがふさわしいでしょう。21世紀になってホリエモンは「命=時間」と言い、ホリエモンとは絶対に性格が合わないはずのノートルダム清心女子大学の元学長・渡辺和子さん(『置かれた場所で咲きなさい』の著者)も学生たちに「時間の使い方は命の使い方なのです」と説いていました。あたかもこれを先取りするかのように、マルクス・アウレリウスは「君に残された時は短い」といった言葉を何度も書き残しています。


寿命が短いローマ人

古代ローマ時代の人々は平均寿命が25歳ほどと空いてされており、乳児の28%が誕生後1年以内に死んだと考えられています。だからなのか、多くの子供は集合墓に葬られ、これといった個別の記録が残されていないようです。マルクス・アウレリウス自身も妻との間に多くの子をもうけたものの、半数は成人まで生きられませんでした。

こうしたことが日常的に起こっていたからこそ、マルクス・アウレリウスは「今」を生きることの重みを説いています。「それと同時に記憶せよ、各人はただ現在、この一瞬間にすぎない現在のみを生きるのだということを」。

世界史の授業では、「ローマ帝国は建築に優れ、たとえば道路や水道など現代でも使用に耐えるものがある」のようなことを習ったはずです。たしかにローマ中心部へいくつも水道が引かれていました。共同浴場も整備されていたものの、じつは衛生面ではかなり問題があったようで、これが感染症の原因となり、結局は寿命を縮める方向へ作用したようです。

要するに水を供給するルート=上水道は整備されていた一方で、下水をどうするかというところまでは手が回らず、ローマ中心を流れるテベレ川には汚物やごみが投棄され、ドブ川状態だったとか。ここで捕れた魚を食べないよう警告する医者もいたものの、ローマ人は普通に食べていたようです。もともと沼沢地だったローマは感染症が起こりやすい土地であり、なおかつ「すべての道はローマに通ず」るわけですから人の出入りも頻繁で、これまた様々な病が流行しやすい要因となっていました。

なんだかローマ帝国のことを知れば知るほど、「そりゃマルクス・アウレリウスでなくても”死”を意識するようになるわなあ」という気分になってしまいます。現代とは1日の価値とか、1年の重みなどがおそらく相当異なっていたのではないでしょうか。当時の書物はきっと多くが散逸してしまっているはずで、だからこそ『自省録』が歴史の荒波に耐えているという奇跡に驚かざるを得ません。

*本記事は以下の書籍を参考に作成しました。