「いいものを作っていれば黙っていても売れる」。そういう認識でいると商売で行き詰まりがちなのは言うまでもないでしょう。いいものが売れるとは限りません。かつてあったベータとVHSの規格争いでは製品として優れているはずのベータが敗北し、VHSが主流となりました。これとは逆に、「なんでこんなしょうもないものがヒットするんだ」という事例だって山のようにあります。
ヒットの仕掛けにマーケティングがあるというのも知られた話です。そのために広告を打ったり、ダイレクトメールを送ったり、そもそも「どういうニーズを抱えた人々に提供するつもりなのか?」という商品設計の段階で苦心したり・・・。売れる商品を作るためにマーケティングを熟知しているのと、何も知らないのとでは大違い。
おそらくマッチングアプリを使って異性にアプローチするうえでも「自分はどんな人なのか」「どういう人とマッチングしたいのか」を、マーケティングの知識を応用して明確化すればきっと有利に進むだろう・・・。そういう下心(?)なのか、それとも経営学とマーケティングのことをマッチングアプリを題材にわかりやすく勉強できればいいと思ったのか(きっと後者でしょう)、『大学教授がマッチングアプリに挑戦してみたら、経営学から経済学、マーケティングまで学べた件について。』という本が出版されています。
『大学教授がマッチングアプリに挑戦してみたら、経営学から経済学、マーケティングまで学べた件について。』。無理があろう
結論から言うと、たしかにこの本には経営学や経営学、マーケティングのことが述べられています。体験談風に書かれているものの、ある程度は筆者の体験をベースにしているのでしょう。
まだ始めて数日なので、マッチングは成立していないが、マーケティング論的に「市場をニーズに合わせて細分化する」という考え方はなかなか面白そうだ。もっと応用できるのではないか、と考えた時に注目したのが、マーケティング論における顧客の類型化だ。代表例が、製品の普及を論じた「キャズムモデル」だろう。
このようにマーケティング理論などがマッチングアプリに掲載する自分のプロフィールの作り込みにあたって紹介されています。そのほか行動経済学とか「ナッジ」とか、色々専門的な話がでてくるのですが・・・。
いかんせん、この話はフィクションであって実体験ではありません。したがって、マーケティング理論を応用した結果、自分のプロフィールを閲覧してもらえた回数が1日あたり二桁から三桁にジャンプアップした、と書かれていても、「フィクションだからだろ」という気持ちにしかなりません・・・。
現実はどうだったのでしょうか。この本の著者である東京都立大学准教授・高橋勅徳氏の前著であり実体験を述べた『婚活戦略』をひもとくと分かります。すなわち、女性は男性のことをあたかも店に陳列されているバッグのごとく扱い(人間扱いではない)、
シャットダウンや自己開示の拒否、既読スルーを駆使することで、「自分が納得して結婚相手として手に取れる」相手が現れるまで、男性会員を徹底的に商品として扱っていく。その際、結婚相手に求める条件以上のマッチングが成立しない限り、彼女たちが通常求める共感を相手に期待するようなコミュニケーションは行われることは少ない。(中略)ここにあるのは、(中略)お互いの条件や価値観を擦り合わせ認め合う活動としての婚活ではなく、女性が妥協なく男性を商品として比較し、選び出す活動としての婚活である。(『婚活戦略』より)
「婚活」という言葉は、「男はこう、女はこう」というステレオタイプから解放され、共働きを前提とした経済的基盤を形成しましょう。そのために男女ともに相手に選ばれるための努力や価値観をすり合わせるなどの妥協が必要です、そのための活動をしましょう、待っていても誰も現れませんよという意味で生み出されました。ところが「婚活」はすぐに「高収入の男をゲットすること」というニュアンスで社会に広まってしまい、その結果気に入る男性が現れるまで、それ以外の男性をモノ扱いするというのが婚活というフィールドのスタンダードになってしまいました。
このような状況のもとでは、男性がいかにマーケティング理論を駆使しようとしても無理ゲーです。だからこそ東京都立大学准教授・高橋勅徳氏も婚活を断念しました。
・・・という現実を知っている私にしてみれば、『大学教授がマッチングアプリに挑戦してみたら、経営学から経済学、マーケティングまで学べた件について。』という本は、経営とかマーケティングのことをわかりやすく伝えようという著者の狙いとは裏腹に、「マッチングアプリとマーケティングは無茶苦茶相性が悪かろう」という感想を持ってしまいました・・・。
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