イ・ムジチ合奏団といえばヴィヴァルディの『四季』ブームの火付け役として知られています。戦後まだ十数年しか経っていないときに現れたレコード。盤面に刻まれた清新な響きに当時の人々は深い感銘を受けたことでしょう。これがきっかけとなり、『四季』を始めとしてたくさんのバロック音楽がレコーディングされることになります。

そして楽団の結成からなんと70年余りが経過しました。よく喧嘩も解散もしないで続けてこられましたね。もしかすると喧嘩もあったのかもしれませんが、とにかく人の一生に匹敵するくらいの風雪に耐え、メンバーも入れ替わりながら活動を続けているのは称賛に値します。個人的にはどこへ行っても『四季』ばかり求められてしまうので、「およげたいやきくん」のように途中で嫌になってしまうんじゃないかと心配してしまいます。余計なお世話ですね。

そのイ・ムジチ合奏団が埼玉にやって来ました! なぜ埼玉? でもいいでしょう。この機会を逃したら次はいつになるのかはっきりしません。行ってみましょう。というわけで2023年9月16日(土)、所沢ミューズというホールへ向かいました。


イ・ムジチ合奏団のアンサンブルに舌を巻く

イ・ムジチ合奏団は指揮者を置かない12名のスタイル。ヴァイオリン6、ヴィオラ2、チェロ2、コントラバス1、チェンバロという編成です。たった12名と侮るなかれ。言うまでもなくメンバーそれぞれは一流の音楽家ですから、聴こえてくる音楽は隙のない緻密なもの。

まず小手調べのように始まったパッヘルベルの「カノンとジーグ」。「カノン」はあまりに有名すぎて逆に実演で聴くのは初めてでしたが、イタリアの楽団らしい横に流れていく音楽が爽やかです。かといって縦の線がずれているわけでもなく、ちょうどよい居心地のよさ。

さらにはバッハの「アリア」はどうでしょう。喩えるならパリのおしゃれなホテルのセミスイートで午後の紅茶を楽しんでいるような優雅さ。でもただ優雅なだけではなく、そこには哀しみもあります。どうやら滞在しているのは老夫婦のようですね。燃え上がるような熱い想いはとうの昔に消えてしまった。でも2人の間にはこれまで積み重ねてきた時間があり、その日々はもう戻らない・・・。残された年月はあとどれくらいなのか分からない、だから今この時間を2人で大事にしていこう・・・、そんな哀しみがうっすらと感じられる優雅なひとときです。こういう響きは「きっちり合わせています」といった体になりがちな日本の楽団からはなかなか聴かれないだけに素晴らしいの一言。

プログラム後半の『四季』もまた素晴らしい。本当ならヴィヴァルディではなくモーツァルトのK.136などのほうが良かったのですがそれを言うのは贅沢でしょう。ホールに響いているのは古楽器やピリオド奏法を取り入れた痩せた響きではなく、大昔に音楽室で聞かされたあの『四季』。時代の流行を追いかけるばかりにかつての姿を捨てるのではなく、誰もが覚えている音楽を数十年にわたって続けているのはそれだけでも素晴らしいことです。精密すぎるわけでもなく、大味にもならず、ヴィヴァルディがきっと求めていたであろうオーソドックスな演奏。強い刺激に慣れてしまった耳には「凡庸な」と聴こえるかもしれませんが、いえいえ、こういう「普通」が一番難易度が高いんですよ(蛇足ながら婚活中の女性が探しがちな「普通の男性」=身長165cm以上で体重60~80kg、年収500万以上で銀行や公務員など安定した職業であり、見た目は星野源なんていう人は実在しません)。

さらにはアンコールで演奏された「赤とんぼ」。これには驚きました。懐かしい響き! よく知っているメロディが弦楽合奏に編曲され、一流の音楽家によって奏でられるとこういう音になるのか。日本人ではない彼らにとって、「赤とんぼ」という言葉が何をイメージさせるのかは分かりませんが、客席が大いに湧いていたことを思えば、この場にいた多くの人にとって忘れられない一時になったことは想像に難くありません。

私は、じつは酷暑のなかホールまで出かけていくことを半ばためらっていました。が、イ・ムジチ合奏団を実演で聴ける機会などそうそうあるものではないことを考えると、危ういところでした。次回の来日公演もぜひ聴きに行きたいと強く思いました。