昔からよく耳にしたのが「テレビばかり見ているとバカになりますよ」。
今なら「動画ばかり見ているとバカになりますよ」、「YouTubeばかり見ているとバカになりますよ」でしょうか。要するに受動的に情報を浴びるばかりで、能動的に自ら情報を取りに行く姿勢が身についていないと、考える力が養われませんよということが言いたかったのでしょう。

しかしご存知のとおり出版不況は私の知る限りもう20年以上は続いています。本がなかなか売れない時代になったということですね。まあ、エンタテインメントの主役が読書から別の何か(ケータイ、スマホ、MP3プレーヤーなど)に映るのは時代の流れですからそれも仕方ないことです。以前は電車の中で文庫本を読んでいる人や日経新聞を読んでいるサラリーマンを良く見かけたものですがスマホの普及とともにそういう人をあまり見なくなり、代わってスマホの小さい画面をじっと覗き込んで何かピコピコしているという姿が当たり前になりました。そりゃテキスト文化は衰退しますわ・・・。

そんな中、音楽之友社の『レコード芸術』が休刊に。
一九五二年創刊の月刊音楽誌「レコード芸術」(音楽之友社)が、二十日発売の七月号で休刊となる。発行部数や広告収入の減少、原材料費の高騰などが要因。クラシックのレコード・CDの批評誌として日本の音楽文化を支えてきたが、読者の高齢化や、配信サービスの台頭による音楽の聴き方の変化といった背景もあり、七十年超の歴史にいったん幕を下ろす。 

(中略)

ピークは、約十万部を発行していた八〇年代後半~九〇年代前半。月に四百作品もの新譜が発売され、大手レコード会社の各レーベルが競って複数ページのカラー広告を出した時代だ。一方、現在は約五万部と半減。月の発売作品数が百未満にまで落ち込んだことで広告も減り、五百ほどあった全体のページ数は三百を割った。

(中略)

用紙代の高騰といった外的要因もあるが、五十~八十代が約九割を占める読者の高齢化が休刊に踏み切った大きな理由の一つだという。「次世代を担う若い層を取り込む誌面づくりができていなかった」

(https://www.tokyo-np.co.jp/article/257558より)
「五十~八十代が約九割を占める読者の高齢化」。たしかに『レコード芸術』はやたらと文字数が多くて、毎月300ページある誌面のほとんどが文字。イケメンピアニストとか女子大生ヴァイオリニストとかの写真じゃなくて、本当に文字。
「ブルックナーの交響曲第4番録音にあたり指揮者〇〇はノヴァーク版を採用し、さらにハース版に加えられたアゴ―ギグをほとんど採用している。例えば第1楽章(4分07秒~)や第2楽章の頂点231小節(12分37秒~)直前のアッチェレランドは、自然な操作に聴こえる」、云々。
こういう新譜月評が長々と続きます。

私は普段から夏目漱石とかトルストイとか、純文学の本などを良く読んでいるので長ーい文章には慣れているんのですが、自分が知らない指揮者で知らない作曲家のレコーディングを批評されても正直読む気が起きませんし、知らないピアニストのインタビュー記事も同じく興味が湧きませんし、買うつもりがないステレオ機材の特長を紹介されても「なんのこっちゃ」で終わってしまいます。

要するに興味を持ちにくい文章が掲載され、とにかく文字だらけという時点でYouTube隆盛のこの時代に若い人がとっつきづらく、要するに「次世代を担う若い層を取り込む誌面づくりができていなかった」、これに尽きるとしか言いようがありません。

とはいえ私は『レコード芸術』に価値がないというつもりは毛頭ありません。ブリュッヘンやクライバー、諏訪内晶子やロストロポーヴィチ、ヴァントといった指揮者・演奏家を知ったのはこの雑誌がきっかけであり、私の音楽生活に彩りを添えてくれました。ただ私と同じか、上の世代が期待する「クラシック音楽とはどのようなものか・どうあるべきか」という像というものが次世代へバトンタッチされることはなく、昭和をピークに平成に差し掛かった時点でもはや持続不可能に陥っていたということでしょう。これを「時代の流れ」というのでしょうか。にしてもこんな文字だらけの雑誌が商業雑誌として数十年も流通していた時代があったなんて、22世紀の日本人からみれば「なんて文化的な国だったんだ!」と回顧される日が来るかもしれません。